白澤社ブログ

人文社会系の書籍を刊行する小さな出版社です。

『大原社会問題研究所雑誌』で『河田嗣郎の男女平等思想』紹介

大原社会問題研究所雑誌』759号で、『河田嗣郎の男女平等思想──近代日本の婦人問題論とジェンダー』(亀口まか著)が紹介されました!

「書評と紹介」欄に詳細な書評を寄せてくださった評者は杉田菜穂さん(大阪市立大学大学院経済学研究科准教授)。

杉田さんは「約20年間の成果が詰まった本書は、初の本格的な河田嗣郎研究の書として世に出た」として、本書の構成と概要を丁寧に紹介してくださった上で、次のように評してくださいました。

「河田の婦人問題論の展開を性別特性論に挑戦した営為であった、それはジェンダー概念と重なる性別へのまなざしであったという著者の主張は、先行研究によってある程度まで成し遂げられるに留まっていた河田の男女平等思想の評価に具体性を与え、その先駆性を際立たせた。」

「著者の関心、したがって、本書の中心的な考察対象は河田の男女平等思想であるが、本書の読者は第1章、また付表を通して河田の思索の軌跡を追体験することができる。」

さらに杉田さんは本書の論点を3点取り上げて発展的に論じたうえで「間もなく没後80年となる河田が直視していた問題の多くは現代に持ち越されており、私たちが河田の思想から学ぶべきことは少なくない」としめくくっています。

杉田さん、ありがとうございました。

[書 名]河田嗣郎の男女平等思想

[副書名]近代日本の婦人問題論とジェンダー

[著 者]亀口まか

[頁数・判型]四六判上製、272頁

[定 価]3800円+税

ISBN978-4-7684-7983-4

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亀口まか著『河田嗣郎の男女平等思想』は全国の有力書店で、定価(3800円+税)でのお取り扱いがございます。もし店頭に見当たらなければ書店を通じてご注文ください。

お咲さん――小松左京『くだんのはは』より

日本沈没』で有名な小松左京の短編「くだんのはは」は、戦後の怪談文芸の傑作のひとつに数えられる作品です。石ノ森章太郎による漫画版も素晴らしい出来栄えでしたから、ご記憶の方も多いのではないでしょうか。

この「くだんのはは」を、まもなく小社から刊行される東雅夫編著『クダン狩り』に収録するため、全集版とハルキ文庫版(『くだんのはは』)を読み比べたりしていたのですが、面白いことに気がつきました。

小松左京のファンの方なら先刻ご承知のことでしょうが、ハルキ文庫の『くだんのはは』に収録されている短編「秋の女」には、「くだんのはは」と共通する人物が登場するのです。

その人の名は「お咲さん」。

このお咲さんについては、小松左京ライブラリさんの『SF一家のネコニクル』第4回~子育て猫プヨの『くだんのはは』お咲さん的なホスピタリティー~でも、小松家の愛猫にたとえられて紹介されています。↓

『SF一家のネコニクル』第4回~子育て猫プヨの『くだんのはは』お咲さん的なホスピタリティー~ - 小松左京ライブラリ (sakyokomatsu.jp)

「くだんのはは」のお咲さんと「秋の女」のお咲さんは、年齢など細かい設定が少し違うのですが、人柄ついてはどちらの作品でも誠実で親切なはたらきものの家政婦さんで主人公(語り手)にとって第二の母のような存在として描かれています。

「お咲さんはそのころ五十ぐらい、僕の家にずいぶん前から通っていた家政婦さんだった。子供好きで家事の上手な、やさしい人だった。僕はもう大きかったから、それほどでもなかったが、幼い弟妹達はよくなついていた。末の妹などは、病身の母よりもお咲さんに甘ったれてしまい、彼女はいつも妹がねつかなければ帰れない事になっていた。物を粗末にせず、下仕事もいやがらずにやり、全く骨惜しみしない――信じられないかも知れないが、昔はそう言う家政婦さんもいたのだ。」(「くだんのはは」より)

「お咲さんは、十七の年、つまり、私の兄がうまれた年、私の家に女中に来た。――来た当時の事は知らないが、はじめから気立ての無類にやさしい、貧しい家庭ながらしつけの行きとどいた、よく気のつく娘で、死んだ祖母にも、私の母にも、また先輩の女中たちにも大変気に入られ、かわいがられたらしい。(中略)――五人も子供をうみながら、根が病弱で、臥せる事の多かった母にかわって、そして兄を溺愛した祖母にかわって、お咲さんは私の母がわり、やさしい姉がわりとして、たえず私をいつくしみ、面倒を見てくれた。私はお咲さんに抱かれ、おぶわれ、手をひかれて大きくなって行った。」(「秋の女」より)

しかも、お咲さんは「くだんのはは」でも「秋の女」でも、主人公がお屋敷に住む謎めいた少女と出会う契機となる役回りを演じています。

もしや「くだんのはは」は実話だったのか?とまでは思わずとも、もしやモデルとなる人物がいたのではないか?とは誰しも思うところでしょう。そこで小松左京ライブラリさんにこっそりお尋ねしてみたところ、複数の人物がモデルとなっていたらしいとうかがいました。

やはり作家の想像力が創り出したキャラクターだったのですね。

幻想の世界への導き手として、お咲さんという実直でやさしい人物を登場させたことがたいへん興味深く感じられました。

『クダン狩り』の広告文案

クリスマスの刊行に向けて準備中の新刊『クダン狩り──予言獣の影を追いかけて』(東雅夫編著、本体1700円)について、先日のブログで「丑年のクリスマスにぴったりの本」としたところ、ツイッターで、丑年のクリスマスではピンポイントすぎるのでは?というご指摘をいただいておりました。

やましたさんはTwitterを使っています 「丑年のクリスマスにぴったりの本『クダン狩り』って、惹句としてはピンポイントすぎるやろ。」 / Twitter

なるほど、『クダン狩り』は12月25日発売予定ですから、たしかに発売日当日限定のキャッチコピーとなってしまいます。

どうしたものでしょうか?

ご提案もいただきました。

「クダン関連のよくばりセットみたいな本」(猫の泉さん)

猫の泉さんはTwitterを使っています 「なんか紹介見る限り、クダン関連のよくばりセットみたいな本で1700円+税は安いですね。」 / Twitter

「自分への プレゼントだな クダン狩り」(稲田研究室の非本業的…さん)

稲田研究室の非本業的…さんはTwitterを使っています 「自分への プレゼントだな クダン狩り あっ、五七五やん」 / Twitter

どれもたいへんよく出来ていて、ボンクラ営業の私にはとても思いつかないと感心していたところ、「怪奇新聞」という媒体に『クダン狩り』の広告が出ていました……。

え? いつのまに? (小社の広告にはすべて目を通しているはずなのですが…。)

https://twitter.com/roudoku_sha/status/1468391370595647488

モザイク加工されていてよく読めませんが、きっとここには斬新でキャッチーなコピーが書かれているに違いありません。

よし、なんだかわからないけれど、これで行こうか(営業部長談)。

 

『〈怪異〉とナショナリズム』(怪異怪談研究会監修、青弓社)

小社刊『表象天皇制論講義』の著者・茂木謙之介さんから新著『〈怪異〉とナショナリズム』(怪異怪談研究会監修、青弓社)をご恵贈いただきましたのでご紹介します。

版元・青弓社さんの紹介ページはこちら↓

〈怪異〉とナショナリズム | 青弓社 (seikyusha.co.jp)

詳しい目次や編著者紹介は上掲の青弓社さんのサイトをご覧ください。

文学、歴史学、宗教学etcの気鋭の論者が交響して作り出す万華鏡のような一冊です。

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先陣を切るのは竜宮の姫を味方につけた鈴木彩さんによる「第1章 戦意高揚物語への接近と離反――泉鏡花「海戦の余波」における〈人間ならざるものたち〉の役割」。ちなみにこの鈴木さんの鏡花論で始まる第1部が「戦争と教化」と題されているのは何かの駄洒落でしょうか、茂木さん?

続く第2章は乾英治郎さんの狸論「出征する〈異類〉と〈異端〉のナショナリズム――「軍隊狸」を中心に」という具合で、読みだしたとたんにめまいがしそうな華麗なラインナップです。

松下浩幸さんの戦後論「第3章 恋する死者たちの〈戦後〉――『英霊の聲』と文学的なるもの」は、フーテンの寅さんのワンシーンからの引用という意表をついた書き出しで始まり、「恋」をキーワードに戦後責任論を再考するという豪快な荒業。いやあ、驚きました。

この後も面白そうな論文がぎっしりと詰まっているのですが、いま頁を切ったばかりで未読ですのでまたの機会にということにして、とりあえず茂木さん執筆の「第13章 “オカルト天皇(制)”論序説――一九八〇年代雑誌「ムー」の分析から」をながめてみました。

面白いじゃないですか。実に面白い。

しかし、問題もあります。

問題は、この面白いネタがどうしてうちの『表象天皇制論講義』に入っていないのか、ということです。

この問題点につきましては、いつかコロナが収束したら、茂木さんとコッテリと話し合いたいと思います。

丑年のクリスマスにぴったりの本『クダン狩り』

あと一カ月でクリスマスですね。

白澤社では丑年のクリスマスにぴったりの本を準備中です。

予言する牛妖クダン(件・くだん)をテーマにした東雅夫編著『クダン狩り──予言獣の影を追いかけて』(本体1700円、12月下旬刊行予定)。

「恐怖のクリスマス・プレゼント」(著者・東氏)とか「丑年最後の牛祭り!」(小社代表)とか内輪ではいろいろ言われておりますが、まずは装幀をご覧ください!

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表紙カバーに大きくあしらったのは、箕輪千絵子さんによる銅版画(エッチング)作品「何も言わなかった」。

謎めいたこの表情!なんとも言えない神秘的なムードをかもしだしています。

まさしく丑年のクリスマスにぴったりの本ではありませんか!

「日本が誇るクダン画家・箕輪千絵子さん」(東氏)は件(くだん)や獣人をモチーフにした銅版画・水彩・鉛筆画などでいま活躍中の美術家です。

箕輪さんのホームページには、これまで制作された作品や参加展覧会情報もありますので、ぜひご覧ください。↓

箕輪千絵子 Minowa Chieko - 箕輪千絵子 Minowa Chieko (chiekominowa.com)

 

月蝕

月蝕が見られるというので、仕事の手を休めて外に飛び出しました。

あいにくと薄い雲がかかっていましたが、お月さまが弦月よりも小さくなっていました。

写真は早稲田の神田川沿いから写したものです。

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神田川沿いから写した月蝕

かなりかすんでいますがご容赦ください。

『朝日新聞』〈論の芽〉「女言葉だわ、男言葉だぜ」に中村桃子さん

翻訳がつくる日本語』の著者・中村桃子さんのインタビュー記事が、『朝日新聞』(2021年11月13日朝刊)〈論の芽〉「女言葉だわ、男言葉だぜ」と題されたコーナーに掲載されました。
〈「女らしさ」の幻想まとう〉と題された記事で中村先生は、明治期、「下品だ」とされていた女学生の言葉を起源とする「女ことば」が、戦中、戦後の社会背景なか、その価値が高められていった経緯と、現代での「女ことば」がもたらす可能性について言及しています。

「女言葉が「女らしくないふるまい」をする女性の「よろい」のような役割を果たす、という面もあるのかもしれません。

 女言葉に「女らしさの押しつけ」ではなく、女性をエンパワーする役割を見いだせる日が、くるのかもしれません。」

〈論の芽〉には『ダ・ヴィンチ・コード』などの翻訳者である越前敏弥さん、米言語学者のマーク・リバーマンさんへのインタビュー記事も併載されており、いずれもとても興味深い内容です。朝日新聞の記事は以下を御覧下さい(有料記事)。
https://digital.asahi.com/articles/DA3S15110092.html?iref=comtop_Opinion_02

中村桃子さんの『翻訳がつくる日本語』については下記をご覧ください。↓

翻訳がつくる日本語 | 白澤社 (hakutakusha.co.jp)