白澤社ブログ

人文社会系の書籍を刊行する小さな出版社です。

京都新聞で『丹後変化物語と化物屋敷』が紹介

京都新聞11/29付朝刊で『丹後変化物語と化物屋敷』が紹介されました。記事は京都新聞社のサイトでも読めます。↓

「一つ目入道やてんぐ…妖怪が武家屋敷に住む住民を恐怖に 江戸時代の怪談の現代語訳が出版」

https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/1380146

新聞でもインタビューされている共著者の江藤学さんに京都新聞紙面での掲載を確認していただきました。けっこう大きな記事で、しかもカラー。快挙です。

次から次へとお化けが出てくる『丹後変化物語と化物屋敷』は好評発売中です。

丹後変化物語と化物屋敷 | 白澤社

https://hakutakusha.co.jp/book/9784768480038/

『思想12月号』に「カント生誕300年」広告

岩波書店の『思想12月号』に広告を出しました。

今回のラインナップは、カントつながりの二冊。

小谷英生著・訳『カントの「噓論文」を読む――なぜ噓をついてはならないのか』

https://hakutakusha.co.jp/book/9784768480014/

網谷壮介著『カントの政治哲学入門――政治における理念とは何か』

https://hakutakusha.co.jp/book/9784768479698/

『思想12月号』の特集は「フラセンクフルト学派と社会研究所の100年」ですが、小社の広告には「カント生誕300年」と銘打ちました。

もちろん、フランクフルト学派は重要です。アドルノ、ホルクハイマー、フロム、マルクーゼ、ベンヤミン……、ファシズムに抗して思索した思想家、研究者たちの遺したものに幾度も学び直す必要があるとは思っています。

けれども、今年は「カント生誕300年」なのです。

『カント全集』の発行元である岩波書店さんなら、今年は当然カントで特集を組むだろうと、もうずいぶん前から「カント生誕300年」の広告文案は出来ていました。

ところが、デリダ没後20年(11月号)、フランクフルト社会研究所創立100年(12月号)を記念する特集は出ても、カント生誕300年特集は出ずじまい。もうしびれを切らして、ドイツつながりということで(アドルノベンヤミンもカントを論じているし)、フランクフルト学派特集の12月号に「カント生誕300年」と銘打った広告を出した次第です。

岩波書店さんのサイト↓

https://www.iwanami.co.jp/book/b655558.html

トークイベント『可能性としての東アジア』大成功

 先週末の土曜(11/6)の午後、銀座の単向街書店にて、『可能性としての東アジア』の著者、子安宣邦さんのトークイベントが開かれました。

 会場は満席の大盛況、フロアからの質疑も活発で盛会のうちに終えることができました。

 素晴らしい会を開いてくださった単向街書店さん、司会・通訳の王前さん、ありがとうございました。

写真右が子安宣邦氏、左は司会の王前氏。

 

 このトークイベントのきっかけとなった『可能性としての東アジア』は、著者の、中国・韓国・台湾における講演草稿のなかから活字化されていないものを中心に編んだ講演集です。

 今回のトークイベントでは、漢字論と『論語』論が中心のお話しでしたが、『可能性としての東アジア』では日韓関係や日本史論、東アジア共同体論など幅広く論じられています。講演を聞かれた方もこの機会にぜひ本も手に取っていただけますと幸いです。

 また、子安先生のご本のほとんどは「である」調の論文体ですが、この『可能性としての東アジア』は講演草稿のため平易な「です・ます」調です。子安先生の熱のこもった話ぶりをご存じの方なら、講義・講演をしている子安先生の声を髣髴とさせられることと思います。

『可能性としての東アジア』は、銀座・単向街書店のほか、全国の主要書店でご注文いただけます。

可能性としての東アジア | 白澤社 (hakutakusha.co.jp)

 

 

いよいよ明日、子安宣邦さんのトークイベント

いよいよ明日です。銀座の単向街書店にて、『可能性としての東アジア』の著者、子安宣邦さんのトークイベントが開かれます。

碩学が東アジアと日本について縦横に語ります。ふるってご参加下さい。

【イベント情報】

ゲスト:子安宣邦

日時:2024年11月16日(土)14:30-16:00

場所:単向街書店・東京銀座店

東京都中央区銀座1-6-1

形式:日本語トーク・全席自由

——————

入場券事前購入:ポスターのQRコード、ホームページ

当日券購入:店頭レジ

費用:1500円

下記の単向街書店のからご予約が可能です。

Asian Talk111 「可能性」としての「東アジア」とは何か - One Way Street Tokyo

https://one-way-street.com/ja/event/asian-talk111/

 

中日新聞で小谷英生『カントの「嘘論文」を読む』紹介

 小谷英生著『カントの「嘘論文」を読む』が中日新聞で取り上げられていました。

 中日新聞11月2日夕刊の新刊ピックアップのコーナーです。後半を引用いたします。

例に挙がるのは、能登半島地震に関するデマや中古車販売会社の不正、政治家のうそ…。あれ、現代の問題でもあるじゃないかと膝を打つ好著。

 まさに本書の読みどころを取り上げてくださいました。

 どんなときでも嘘はいけないというのは、老カントの頑固さによるものではなく、現代の倫理学政治学にも通ずる重要な問題提起なのです。

 カント自身の論文の新訳に、執筆当時の時代背景から現代の諸問題への適用まで、痒い所に手が届く『カントの「嘘論文」を読む』は好評発売中です。

https://hakutakusha.co.jp/book/9784768480014/

 

11/16銀座・単向街書店で子安宣邦氏講演

来たる11月16日(土)単向街書店銀座店にて、『可能性としての東アジア』の著者、子安宣邦さんのトーク・セッションが開かれます。

碩学が東アジアと日本について縦横に語ります。ふるってご参加下さい。

【イベント情報】

ゲスト:子安宣邦

日時:2024年11月16日(土)14:30-16:00

場所:単向街書店・東京銀座店

東京都中央区銀座1-6-1

形式:日本語トーク・全席自由

——————

入場券事前購入:ポスターのQRコード、ホームページ

当日券購入:店頭レジ

費用:1500円

お問い合わせは単向街書店銀座店にお願いします。

下記の単向街書店のサイトからご予約が可能です。

Asian Talk111 「可能性」としての「東アジア」とは何か - One Way Street Tokyo



『なぜ少年は聖剣を手にし、死神は歌い踊るのか――ポップカルチャーと神話を読み解く17の方法』

 神戸神話・神話学研究会、植朗子、清川祥恵、南郷晃子編『なぜ少年は聖剣を手にし、死神は歌い踊るのか ポップカルチャーと神話を読み解く17の方法』(文学通信)を拝読しました。

 版元・文学通信さんのサイトはこちら↓同書の「はじめに」が読めます。

「はじめに」を公開『なぜ少年は聖剣を手にし、死神は歌い踊るのか ポップカルチャーと神話を読み解く17の方法』 - 文学通信|多様な情報をつなげ、多くの「問い」を世に生み出す出版社

 文学通信さんは、先日このブログで取り上げた近藤瑞木『江戸の怪談――近世怪異文芸論考』といい、面白そうなご本を続々と出されています。小社も見習わなければ。

 本書は17人の共著者がそれぞれの選んだ話題について論じているのですが、各章の冒頭に担当執筆者のアプローチ方法とその章で取り上げる作品概要が掲載されています。つまり、どのような視点、方法でどういう作品を扱うのかを読者に明示しているわけです。

 17人の著者が取り上げる作品は公開されている「はじめに」にあるようにさまざまです。そこでタイトルにある少年が聖剣を手にする話と死神(またはそれに準ずる敵役)が出てくる話を扱った章のいくつかについて書き留めるにとどめます。

 

 南郷晃子「米津玄師「死神」考」はタイトルには米津玄師「死神」が挙げられていますが、そこを入り口にして三遊亭圓朝の落語「死神」とその背景にある前近代からの伝承を考察します。落語「死神」の元の話はヨーロッパの民話です(小社はイタロ・カルヴィーノ編『カルヴィーノ イタリア民話集』(岩波文庫)で類話を読みました)。しかし、南郷は物語のパターンにとどまらず死神そのものの性格(キャラクター)の源流を求めて近世文学やそれに影響を与えた中国の伝説に手を伸ばしていきます。実は結論もさることながら、そこにいたる過程が面白い。特に三好想山『想山著聞奇集』より「死に神の付たると云は嘘とも云難き事」の紹介は絶妙で、江戸時代の大阪・戎橋と現代のその場所がオーバーラップして、今宵もネオンまたたく道頓堀を逃げ惑う男がいるのじゃないかと想像が広がります。

 

 川村悠人「死神たちは言葉を振るう――『BLEACH』と古代インドにおける言葉と詠唱」は本書タイトルのど真ん中を射たような考察です。『BLEACH』での死神は冥界の警察官のような役割を果たす存在です。その多くは高校生である主人公をはじめ少年・青年と言ってもいい若者たちです。そして死神たちは敵と戦うときに斬魄刀という刀をふるいます。川村は死神が超能力を発揮するときに唱える呪文のような文句(詠唱)に注目して、それをインド神話に登場する呪句と比較しています。聖剣をふるう死神となった少年を描くポップカルチャーインド神話で読み解く一つの方法が示されています。

 

 植朗子「『鬼滅の刃』炭治郎に継承される「聖剣」――日輪刀と刀鍛冶の物語」は剣(刀)に焦点を当てます。『鬼滅の刃』は、敵役の「鬼」を死神のヴァリエーションに見立てれば、少年、剣、死神の三題噺になるのですが、植はあえて主人公たちが鬼を斬るために振るう剣(日輪刀)に話題を絞り込んでいます。植は『鬼滅』の主人公・炭治郎(少年)の日輪刀――それは鬼殺隊剣士のふるう超人的な剣技の始祖の愛刀――の継承の物語を、『古事記』の草薙剣アーサー王エクスカリバーといった聖剣伝説と比較しながら、『鬼滅』における聖剣の伝承が一つの神話となっていることを論じていますが、重要な指摘をしています。聖剣(またその力や剣技)の継承には血統が関係することが多いのに、『鬼滅』における聖剣の継承は血統によるものではないということです。

 超人的な剣技の始祖の技は、『鬼滅』の登場人物には鬼となった彼の兄やその子孫(鬼殺隊剣士)もいるのに、赤の他人である炭治郎の先祖に継承されました。以来、ひたすら実直に子々孫々に伝え「驚くほど正確に伝わっていました」。これは天才でも超人でもない人々の努力によるものです。そして、数百年の時を超えて発見された始祖の聖剣の隠されていた人形を守っていたのも、すっかり錆びついていたその刀を命がけで研ぎなおし再生したのも、やはり天才や超人の血統ではない「ただの人」、うまずたゆまず技術を継承してきた刀鍛冶の里の人々であったことを植は指摘します。「ただの人」である刀鍛冶が守り再生した聖剣と、「ただの人」である炭焼きの一家が継承した剣技を、炭治郎は継承するのです。これは考えてみれば『古事記』やアーサー王伝説という神話・伝説を、血統にも、それに準ずる特殊な文化にもよらずに、現代の漫画家が継承していることを示唆しているようにも感じられて興味深く読みました。

 

 すっかり長くなってしまいました。本書はこの他にも面白い論考がずらりと並んでいますのでご一読をお勧めします。