白澤社ブログ

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お咲さん――小松左京『くだんのはは』より

日本沈没』で有名な小松左京の短編「くだんのはは」は、戦後の怪談文芸の傑作のひとつに数えられる作品です。石ノ森章太郎による漫画版も素晴らしい出来栄えでしたから、ご記憶の方も多いのではないでしょうか。

この「くだんのはは」を、まもなく小社から刊行される東雅夫編著『クダン狩り』に収録するため、全集版とハルキ文庫版(『くだんのはは』)を読み比べたりしていたのですが、面白いことに気がつきました。

小松左京のファンの方なら先刻ご承知のことでしょうが、ハルキ文庫の『くだんのはは』に収録されている短編「秋の女」には、「くだんのはは」と共通する人物が登場するのです。

その人の名は「お咲さん」。

このお咲さんについては、小松左京ライブラリさんの『SF一家のネコニクル』第4回~子育て猫プヨの『くだんのはは』お咲さん的なホスピタリティー~でも、小松家の愛猫にたとえられて紹介されています。↓

『SF一家のネコニクル』第4回~子育て猫プヨの『くだんのはは』お咲さん的なホスピタリティー~ - 小松左京ライブラリ (sakyokomatsu.jp)

「くだんのはは」のお咲さんと「秋の女」のお咲さんは、年齢など細かい設定が少し違うのですが、人柄ついてはどちらの作品でも誠実で親切なはたらきものの家政婦さんで主人公(語り手)にとって第二の母のような存在として描かれています。

「お咲さんはそのころ五十ぐらい、僕の家にずいぶん前から通っていた家政婦さんだった。子供好きで家事の上手な、やさしい人だった。僕はもう大きかったから、それほどでもなかったが、幼い弟妹達はよくなついていた。末の妹などは、病身の母よりもお咲さんに甘ったれてしまい、彼女はいつも妹がねつかなければ帰れない事になっていた。物を粗末にせず、下仕事もいやがらずにやり、全く骨惜しみしない――信じられないかも知れないが、昔はそう言う家政婦さんもいたのだ。」(「くだんのはは」より)

「お咲さんは、十七の年、つまり、私の兄がうまれた年、私の家に女中に来た。――来た当時の事は知らないが、はじめから気立ての無類にやさしい、貧しい家庭ながらしつけの行きとどいた、よく気のつく娘で、死んだ祖母にも、私の母にも、また先輩の女中たちにも大変気に入られ、かわいがられたらしい。(中略)――五人も子供をうみながら、根が病弱で、臥せる事の多かった母にかわって、そして兄を溺愛した祖母にかわって、お咲さんは私の母がわり、やさしい姉がわりとして、たえず私をいつくしみ、面倒を見てくれた。私はお咲さんに抱かれ、おぶわれ、手をひかれて大きくなって行った。」(「秋の女」より)

しかも、お咲さんは「くだんのはは」でも「秋の女」でも、主人公がお屋敷に住む謎めいた少女と出会う契機となる役回りを演じています。

もしや「くだんのはは」は実話だったのか?とまでは思わずとも、もしやモデルとなる人物がいたのではないか?とは誰しも思うところでしょう。そこで小松左京ライブラリさんにこっそりお尋ねしてみたところ、複数の人物がモデルとなっていたらしいとうかがいました。

やはり作家の想像力が創り出したキャラクターだったのですね。

幻想の世界への導き手として、お咲さんという実直でやさしい人物を登場させたことがたいへん興味深く感じられました。