白澤社ブログ

人文社会系の書籍を刊行する小さな出版社です。

カントと花見

今週は東京都心の桜は満開、好天にも恵まれてお花見ウィークになりそうですね。

小社最寄りの神田川沿いの桜も満開です。
今日のような、うららかな午後は、網谷壮介著『カントの政治哲学入門』を片手に散策するのにうってつけです。

カントは花見をしたか?

ところで、カントは花見をしたのでしょうか。
もし「花見」を、桜の花をながめながら酒を飲んだり軽食をとったりする日本の風習と定義するなら、カントは花見をしなかったが正解です。
桜の花の下でどんちゃんする花見が庶民に広まったのは、江戸時代中期享保年間(1716-1736)のころからだとされています。
カントは享保九年(1724)の生れですから、日本に来ていれば、きっと花見に出かけたに違いありませんが、実際には「カントは生涯、ケーニヒスベルクの街から一歩も外へと出ることはなかったと言われている」と網谷さんは書いています(網谷、p167)。
したがって、カントは花見をしませんでした。
けれどもカントは、自室に閉じこもって純粋理性の誤謬推理について考えてばかりいたわけではありません。
網谷さんによれば「ケーニヒスベルクは発展した港街であり、カントは街を訪れる商人や軍人とも社交し、世界への見聞を広めていた」そうです(網谷、p.167)。
トリビアなネタが満載の『実用的見地における人間学』とか、『判断力批判』にあるエジプトのピラミッド観光のコツとかも、こうした社交と会話によって材料を得たのだろうということです。
飛鳥山の桜も吉野の桜も観に来なかったカントですが、寛政七年(1795)に出された『永遠平和のために』では、ヨーロッパの植民地政策を批判する観点から「日本と中国の鎖国政策が、ヨーロッパの植民地主義者の非友好的振る舞いを吟味した末での思慮に富んだものだったと評価しさえ」しているそうです(網谷前掲書、p195)。
老中・松平定信による鎖国引締め政策がカントの耳にも入っていたのでしょうか。

今週の名言

世界市民の観点に立つためには、なにも世界中を旅行する必要はない。ただ、世界に対する関心が必要なのだ。(網谷壮介著『カントの政治哲学入門』より)


カントの言葉ではありません。
カントの世界に開かれた態度を要約した網谷さんの文章です。