白澤社ブログ

人文社会系の書籍を刊行する小さな出版社です。

哲学的ゾンビ

ゾンビの話が続いたので、ゾンビの話をしましょう。
永野潤著『イラストで読むキーワード哲学入門』には「哲学的ゾンビ philosophical zombie」の項があります。
哲学的と銘打つからにはただのゾンビではありません。

 

哲学的ゾンビ philosophical zombie」とは、オーストラリアの哲学者デビット・チャーマーズが考えた思考実験で、外見や振る舞い、さらには脳の状態まで、普通の人とまったく同じなのだが、何も感じていない、つまりクオリアをまったく持たない存在のことである。(永野潤『イラストで読むキーワード哲学入門』p85より)

 

つまり、「哲学的ゾンビ」とは、他我問題を考えるための思考実験なのですが、永野さんはダ・ヴィンチ・恐山「下校時刻の哲学的ゾンビ」というマンガを紹介しています。
ダ・ヴィンチ・恐山さんの「下校時刻の哲学的ゾンビ」は下記のサイト↓で閲覧できます。
https://omocoro.jp/kiji/64616/
かわいらしい絵柄ですが、背筋がゾクっときました。なんだか怖い話です。
それにしてもよくできたマンガです。永野さんが哲学的ゾンビの説明の大半を、この「下校時刻の哲学的ゾンビ」の紹介に費やしているのもなるほどと思います。

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ちなみに、永野さんの文中に出てくる「クオリア」については、「逆転スペクトルinverted spectrum」の項(『イラストで読むキーワード哲学入門』p78-p79)をご覧ください。

 

生きられた身体

生きている死体 Living Dead といえばゾンビのことですが、生きられた身体という言葉が哲学にはあります。
永野潤著『イラストで読むキーワード哲学入門』の「生きられた身体 lived body」の項では次のようなイラストが提示されています。

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このブログで前回ご紹介した「現象学 phenomenology」の項での、「一人称の風景」を描いたイラストによく似ています。
一人称の風景にあるリンゴを手でつかもうとしている、そんな場面でしょうか。
ご存じの方も多いでしょうが、「生きられた身体」は現象学派に属する哲学者がよく使う表現です。
永野さんは次のように説明しています。

 

サルトルは「見えるものでなければ見ることはできない」と言っている。これはつまり、見えたり触れたりすることのできる身体を持っていなくては、そもそも私たちは世界へと関わることができない、っていうことである。ものを見ることができるためには、身体としてものと同じ世界に属していなくてはならないんだ。「世界への関わり」は、具体的な形をとって世界の中に存在する。そして、それが私の「身体」である。それは、対象としての身体ではなく、主観としての身体、「生きられた身体」なんだ。20世紀フランスの哲学者モーリス・メルロ=ポンティは、デカルトの「私は考えるI think 、だから私は存在する」を「私はできるI can、だから私は存在する」と言いかえている。

 

ちなみに、サルトルメルロ=ポンティデカルトといった著名な哲学者の名前が出てきますが、それらについてはすべて本書巻末の「人名一覧」に簡単な略歴と主著が紹介されています。
『イラストで読むキーワード哲学入門』はたいへん便利な一冊として、新刊書店で流通しております。定価は本体1800円+税です。
読者の皆様にはお手数をおかけいたしますが、最寄りの書店さんを通してご注文いただければ幸いです。

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現象学とはなにか?

現象学とはなにか?といえば、そのものズバリのタイトルを掲げた新田義弘『現象学とは何か――フッサールの後期思想を中心として』(講談社学術文庫)をはじめとして、木田元現象学』(岩波新書)から、谷徹『これが現象学だ』(講談社現代新書)や、植村玄輝・八重樫徹・吉川孝共編『現代現象学――経験から始める哲学入門』(新曜社)まで、定評ある入門書がいくつもあります。
永野潤著『イラストで読むキーワード哲学入門』の「現象学 Phenomenology」の項では次のように説明されています。

 

「リンゴを見ている」ときは、目の前のここにある「このリンゴ」を見ているのだ、という基本的な場面、つまり、一人称の風景に立ち返ろうとしたのが、19世紀オーストリアの哲学者エトムント・フッサールにはじまる「現象学 phenomenology」という哲学の立場だ。

 

「一人称の風景」というのはどういうものなんでしょうか。
昨年話題になった映画『カメラを止めるな!』(上田慎一郎監督)の前半のように、ゾンビから逃げまわる人々を一台のカメラがワンシーン・ワンカットで撮影した映像を思い浮かべてしまいますが、ちょっと違うようです。
どう違うのか、あまり詳しく説明すると『カメラを止めるな!』のネタバレになってしまうのでやめておきましょう。
そのかわりに、永野さんが一人称の風景を表した次のイラストをご覧ください。

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あるはずのリンゴの裏側は見えないし、おそらく長方形だろうテーブルの天板は台形に見えるし、床のタイルも菱形に見えます。
しかし、それを錯覚や、実物のイメージにすぎないものとは考えないのが現象学だと永野さんは言います。
現象学は、私たちが、様々な現れを通じて、同じ一つのテーブル、テーブルそのものを見ている、と考える。」

さらに永野さんは、「志向性」や「世界内存在」についても、簡潔に説明してくれているのですが、詳しくは発売中の『イラストで読むキーワード哲学入門』をご覧ください。

 

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ちなみに、冒頭に挙げた類書の特徴をメモしておきますと、

現象学の歴史についてコンパクトにまとまっているのが木田『現象学』、

学祖フッサールとその直弟子たちの思想をまとめたのが新田『現象学とは何か』、

現象学の方法と考え方を明快に示したのが谷『これが現象学だ』、

現象学のいろいろな分野での応用と展開を整理したのが植村ほか編『現代現象学』、

という感じになるかなと思います。

驚きは哲学の始まりだった?!

永野潤著『イラストで読むキーワード哲学入門』は先月刊行したばかりの新刊なのに、某大手オンライン書店では品切れ状態が続いているのに驚きました。もちろん在庫は十分にございます、新刊ですから。
しかも、新刊書店での定価は本体1800円+税なのに、気の早いネット古書店が定価の倍近い高値を付けているのにも驚きました(2019年5月22日17時時点)。
二度びっくりでございます。
哲学は驚きから始まるという話があります。

『イラストで読むキーワード哲学入門』の「タウマゼインthaumazein」の項で永野さんは次のように書いています。

 

プラトンアリストテレスという古代ギリシアの哲学者が「驚き」(ギリシア語で「タウマゼインthaumazein」)が哲学の根源にあると言っていた、などという話も、哲学入門ではよく紹介されるが、哲学は、見知らぬものに対して驚くのではなく、見慣れている(と思っている)ものに対して驚くんだ。宇宙人を見て驚くのは普通だが、地球人を見て驚くのが哲学である。」

 

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「宇宙人を見て驚くのは普通だが、地球人を見て驚くのが哲学である」とは、哲学の定義として面白いものです。
それでは、大手オンライン書店のサイトを見て驚くのは普通なのでしょうか、それとも哲学なのでしょうか。

最後に、くどいようですが『イラストで読むキーワード哲学入門』新刊書店で流通しております。定価は本体1800円+税です。
読者の皆様にはお手数をおかけいたしますが、最寄りの書店さんを通してご注文いただければ幸いです。

 

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がんばれ!脳みそッ

『イラストで読むキーワード哲学入門』(永野潤著)には、映画『マトリックス』(ウォシャウスキー兄弟監督)の話が出てきます。
主演のキアヌ・リーブスの華麗なアクションが印象的な映画ですが、永野さんはこの作品の設定に注目します。

 

ある日、主人公のネオは、謎の男モーフィアスに「真実」を教えられる。それによると、実は21世紀になって人類の文明は人工知能に滅ぼされてしまっており、人間は、生まれたときから培養液の入ったカプセルの中にとじこめて眠らされ、脳に電極を挿されて、一生夢を見させられている、というんだ。自分が映像を見ていることが信じられず、周囲の世界や自分の姿を見て「これが現実じゃない?」と言うネオに、モーフィアスはこう言う。「何が現実だ? 現実をどう定義する? もし君がいっているのが、感じるとかにおいがするとか味がするとか見えるとかなら、現実とは脳が解釈するただの電気信号だ。」映画では、主人公はこの「夢」から目覚め、カプセルの中に横たわって脳に電極をつながれていた自分を発見する。(永野潤『イラストで読むキーワード哲学入門』p34)

 

映画『マトリックス』の描く未来社会で、人間がその中で仮想現実の世界を見させられている培養カプセル、これはアメリカの哲学者ヒラリー・パトナムの思考実験「水槽の脳 brain in a vat」や17世紀フランスの哲学者ルネ・デカルトの懐疑と同趣向だと永野さんは指摘しています。

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いま自分が感じているすべてが夢だとしたならば、いったい現実の自分とは何なのか。
中国の古典『荘子』にも「胡蝶の夢」という逸話がありましたが、永野さんの描いたのは蝶ではなく脳みそです。
水槽のなかにポツンと沈んで、リンゴを思い浮かべている脳みそはどこか淋しげで、「がんばれ!脳みそッ」と声をかけてあげたくなります。

牡丹の花が赤いのは…

昨日は、埼玉県秩父市まで足を延ばして、秩父困民党ゆかりの地を訪ねてまいりました。

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写真は散策の途中で拝観した牡丹の寺・少林寺さんの庭に咲く深紅の牡丹です。
ところで、牡丹の花の赤さとは何なのか?という議論が、新刊『イラストで読むキーワード哲学入門』(永野潤著)にあります。
実は著者・永野潤さんが例に挙げているのは牡丹の花ではなくリンゴなのですが…。
「目の前に、リンゴが見える。このリンゴは赤い。でも、リンゴの「ほんとうの」色って何色なのだ?」と永野さんは問いかけます。
キーワード「第二性質」の項です。

 

17世紀イギリスのジョン・ロックという哲学者は「色」などの性質は、物そのものがもっている性質ではなく、感覚が私の心の中に作り出す性質なのだ、と考えた。ロックは、大きさや形などは、物そのものがもっている性質と考え、それを「第一性質 primary quality」と呼んだが、一方、色やにおいや味などは、心の中にしかない、物そのものがもっていない性質と考え、それを「第二性質 secodary qurlity」と呼んだ。(永野潤『イラストで読むキーワード哲学入門』白澤社、p26)

 

永野さんはロックの「第二性質」から議論をさらに一歩進めて、もし、色彩が人間をはじめとする生物にとってのみ意味のあるものだとすれば、遥かな遠い未来に地球上のすべての生物が絶滅したあと、色にはどのような意味があるのだろうかと問いかけます。
『イラストで読むキーワード哲学入門』の表紙カバーに掲載したイラストが、まさにその場面を描いたものです。

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「ぷ。」←なにに見えますか?

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これは新刊『イラストで読むキーワード哲学入門』(永野潤著)に掲載されたイラストです。

「ぷ。」の横に手が描かれていますが、とりあえずそこは切り離してご覧ください。
「ふ。」でも「ぷ」でも「ぶ。」でもありません。「ぷ。」です。

「ぷ。」←なにに見えますか?
本書は52の哲学のキーワードについて簡潔な解説とイラストで説明しています。
「ぷ。」が登場するキーワードは「日常性」。
私たちの日常的な意識では、「ぷ。」は、(pu)と発音する日本語のひらがな表記に句点(。)をふったものです。
けれども、「ぷ。」を、じーっと見ていると他のものに見えてくる、「哲学は、見慣れた日常的な世界を奇妙で非日常的なものとしてとらえるところにはじまる」と著者の永野さんは言います。
「ぷ。」がなにか他のものに見えてきたときに、私たちは感覚のレベルで哲学への入り口を体験しているのです。
非日常的な世界への扉を開く『イラストで読むキーワード哲学入門』、主要書店で販売中です。

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