白澤社ブログ

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『人生論ノート』の成立と構成――岸見一郎『三木清『人生論ノート』を読む』編集こぼれ話

三木清『人生論ノート』は「死について」から「個性について」まで23編のエッセイがおさめられています。それぞれのテーマは習慣、虚栄、怒り、孤独、嫉妬、噂、健康、偽善など、いずれも文庫本で数ページの短いものですが、圧縮された表現で人生の断面を描き、掘り下げています。
いま、私たちが手にしている『人生論ノート』は、一九三八年から四一年にかけて雑誌『文学界』に断続的に連載されたエッセイをもとに単行本化されたものです。
単行本初版は1941年8月、創元社より刊行されました。この創元社版を底本にしたものがPHP版(2009)で、『文学界』に掲載された「死について」から「仮説について」までに、「旅について」と「個性について」を併せたものです。
その後、創元社初版には収録されていなかった『文学界』連載の最後の三篇「偽善について」、「娯楽について」、「希望について」を収録して、現在、新潮文庫版などで親しまれているかたちになったものと思われます。

タイトルから見た『人生論ノート』の構成

さて、三木の遺した日記は「人生論ノート」連載第一回の原稿を書いた一九三八年五月一日付で終わっています。そこには次のように書かれています(岩波版全集第十九巻二一五頁)。

一日引籠って『文学界』の原稿を書く。「死と伝統」という随想である。

実は『人生論ノート』の最初の章「死について」は、雑誌『文学界』に掲載されたときには「死と伝統」というタイトルで発表されていたのでした。現在の「死について」というタイトルは単行本収録時に変更されたものです。
ちなみに、単行本収録時にタイトルが変更された章を挙げておきます。
(発表時のタイトル) →  (現在のタイトル)

  • 「死と伝統」     → 「死について」
  • 「個性と幸福」    → 「幸福について」
  • 「懐疑と決断」    → 「懐疑について」
  • 「人間の条件」    → 「人間の条件について」
  • 「個性の理解」    → 「個性について」

このように『人生論ノート』の最初の三つの章、「死について」「幸福について」「懐疑について」は『文学界』掲載時には違うタイトルで発表されていました。また、前半三分の一を過ぎたところで書かれた「人間の条件について」も、最後の「個性について」もそうでした。単行本収録時に他の章にあわせて「何々について」というかたちにそろえたのでしょう。
このうち、「人間の条件について」はもとの題「人間の条件」に「について」が足されただけだからよいとしても、「死について」「幸福について」「懐疑について」は、それぞれ「死と伝統」「個性と幸福」「懐疑と決断」だったことを知っているのと知らないのとでは読み方が違ってくるでしょう。
また、最後の二編、「旅について」と「個性について」は、『文学界』連載とは別に書かれていたもので、単行本化する際に附録として追加されたのです。なお「個性について」は三木自身が「後記」で京都大学卒業の直前、一九二〇年に学内誌『哲学研究』に掲載したものを附録としておさめたと書いていますが、「旅について」の初出は不明です。他の章は短いパラグラフ(断章)によってなり、各パラグラフの間を一行空けているのに対して、「旅について」と「個性について」には行空きがありません。
こうしてみると、「死について」から「人間の条件について」までを前半、「何々について」というかたちが定着した「孤独について」から「希望について」までを後半、「旅について」と「個性について」が附録というように見なしてさしつかえないように思います。

執筆時期から見た『人生論ノート』の構成

さらに、執筆時期からもう少し細かく見ていきますと、『人生論ノート』は大きく六つに分けられそうです。
a.1938掲載
「死と伝統」(死について)、「個性と幸福」(幸福について)、「懐疑と独断」(懐疑について)
連載開始時のもの。原題から「XとY」という形式で構想されていたらしい。

b.1939掲載
「習慣について」、「虚栄について」、「名誉心について」、「怒りについて」、「人間の条件」(人間の条件について)
「XとY」形式は軌道修正された。以後の連載は「人間の条件」を例外として「習慣について」で試みられた「Zについて」という形式で続けられた。ただし「人間の条件」は、「XとY」式でも「Zについて」式でもなく、本書中でも特異なタイトルである。この後の連載再開まで7ヶ月もあるところから、前半の小括の意図もあったと見てよいだろう。

c.1940掲載
「孤独について」、「嫉妬について」、「成功について」、「瞑想について」
「孤独について」は中国旅行から帰国して、「人間の条件」以来7ヶ月ぶりに発表された連載再開の第一弾。他の章よりもやや短いのが特徴。他は1940年6、7、8月に続けて発表された。

d.1941掲載
「噂について」、「利己主義について」、「健康について」、「秩序について」、「感傷について」、「仮説について」
1941年1月、「噂について」で4か月ぶりに連載を再開して以来、毎月発表された。「仮説について」までを創元社版に収録。

e.1941年創元社版以後の連載
「偽善について」、「娯楽について」、「希望について」
創元社版編集後に『文学界』に掲載された。「希望について」が連載「人生論ノート」の最終回。

f.附録
「後記」、「旅について」、「個性について」
創元社版刊行時に追加された文章。

小社新刊・岸見一郎『三木清『人生論ノート』を読む』では、このうちaからcまでの時期に執筆された章を中心にとりあげました。