白澤社ブログ

人文社会系の書籍を刊行する小さな出版社です。

長谷川研究員!東京新聞に登場

昨夕は上野で新企画の打ち合わせ。
そのままお花見に繰り出してもよかったのですが、駅前からすでにすごい人出なのを見て、人の波をかきわけていく気になれずに帰ってきました。
さて、もう先々週のことになってしまいましたが、3月19日の朝、新聞を広げるとそこに見知った方のお名前が! 東京新聞の名物コーナー「こちら特報部」に、小社刊『「皇国史観」という問題』の著者、長谷川亮一さんが登場しているではありませんか。
「八紘一宇国会質問」と題された記事(篠ケ瀬祐司、林啓太)に、長谷川さんがコメントを寄せていたのです。
該当箇所を抜粋します(一部省略)。

日本書紀を基に「八紘一宇」を造語したのは日蓮宗系の宗教家、田中智学(一八六一〜一九三九年)とされる。一九一三年、自身が主宰する信仰団体の機関紙に記した。
 千葉大大学院の長谷川亮一特別研究員(日本近現代史)は「田中は日蓮宗の教義を独自解釈し、(〇四〜〇五年の)日露戦争前から天皇が世界統一の使命を負っていると主張していた」と説明する。
 ただ、田中の思想は一部軍人らに影響を与え、三〇年代前半から軍部が八紘一宇を使い始めた。陸軍省のパンフレットや二・二六事件青年将校の「蹶起趣意書」にも引用された。
 背景にあるのが、三一年の満州事変と翌三二年の満州国の建国だ。長谷川研究員は「満州は朝鮮や台湾のように併合できなかった。第一次大戦後、民族自決の風潮が国際的に浸透していたためだ。そこで、日本が満州国に対して支配的な地位に立つことを正当化する狙いで、天皇の威光が世界を覆うという八紘一宇の理念を主張した」と語る。つまり、アジア侵略を正当化する理念だったといえる。
 政府は三七年、戦意発揚のために「八紘一宇の精神」と題する冊子を発行し、四〇年にはこの言葉を含む「基本国策要綱」を閣議決定した。宮崎市に「八紘一宇の塔(現・平和の塔)」が建てられるなど、草の根にも浸透していった。
 文部省(当時)が学校に配布した「大東亜戦争とわれら」(四二年)という冊子も「戦争完遂の大目的」が「万邦が各々その所を得て、あひともに栄えゆくやうにすること」で「八紘為宇」の精神に基づくと説いた。
 やがて、敗戦。連合国軍総司令部(GHQ)は四五年、八紘一宇を「軍国主義、過激ナル国家主義ト切リ離シ得ザルモノ」として公文書での使用を禁じた。

長谷川研究員、って、なんだか格好いいですね。今度お会いしたらそうお呼びしようかな。「お原稿は進んでいますか?長谷川研究員!」。
ちなみに、長谷川さんのツイートを中心にしたまとめ「戦争中の「八紘一宇」の公的な使われ方」はこちら↓
http://togetter.com/li/796884
また、「湾曲していく日常」さんが、関連個所を長谷川さんの『「皇国史観」という問題』から抜き出してまとめてくださっています。↓
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20150321#p1
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20150327#p1
「このテーマはテーマが大きいのに類書がほとんどないのではないか。3800円のマイナーな本だが、名著だと思う。」と有り難いお言葉もいただきました。
出版社自体がマイナー(というかミニサイズ)であることは自覚しておりますので、「マイナーな本だが、名著」という評は版元としては誇らしい限りです。