白澤社ブログ

人文社会系の書籍を刊行する小さな出版社です。

『実録四谷怪談』の挿絵について

今月刊行しました『実録四谷怪談 現代語訳『四ッ谷雑談集』』の挿絵についてお尋ねをいただきましたので、このブログでまとめてお答えいたします。

挿絵は『今古実録四谷雑談』から

『実録四谷怪談』には計6点の挿絵が掲載されています。
例えばこんな絵です。

あっとおどろく伊右衛門の手がかわいいですね。
これらは凡例にあるとおり、明治十七年(1884)刊の『今古実録四谷雑談』(栄泉社)所収のもので、小社の『実録四谷怪談』本文の底本とした『四ッ谷雑談集』からではありません。
ただし、『今古実録四谷雑談』(以下『今古』と略記)も『四ッ谷雑談集』を明治時代に翻刻したものですから、ほぼ同じ内容の場面があり、それに添えられた挿絵は読者の参考になるだろうと考えて転載したものです。

表紙絵について

なお、本書『実録四谷怪談』の表紙に用いたのも、『今古』の挿絵で、だまされたと知ったお岩様が怒り心頭に発し、捕まえようとする男たちを投げ飛ばして走りだそうとしている場面です。

お岩様の表情に鬼気迫るものがあります。
投げ飛ばされた中間のふんどしもリアルですね。
実は、『今古』の表紙絵はこれではなく、伊右衛門とお花がちょっといい感じに見つめ合っている場面と、お岩様の亡霊と伊右衛門がにらみあっている場面が描かれています。
どうして小社の『実録四谷怪談』ではそれを使わなかったのか?
『今古』の表紙絵には鶴屋南北の歌舞伎『東海道四谷怪談』のイメージが投影されているからです。特に、お岩様が亡霊、すなわち死霊として描かれていることにひっかかりました。白い着物を着ていて足がなくて、という、いわゆる亡霊の絵なんです。
ところが『四ッ谷雑談集』では、お岩様の死亡は確認されていません。それどころか生きていたのではないかと思わせる記述もあります。
それに『四ッ谷雑談集』のなかでお岩様がいちばん生き生きと活躍しているのは、伊右衛門の裏切りを知って「腹立や恨めしや」と大暴れする場面だと感じたので、その絵を表紙にしました。

絵師・落合芳幾について

絵師は、落合芳幾(おちあいよしいく)という人です。
手元の人名事典(『コンサイス日本人名事典』三省堂)によりますと、天保四年(1833)生まれで明治三七年(1904)没。浮世絵師・歌川国芳に師事し「残酷・扇情的な主題を得意とした」とあります。
小社の『実録四谷怪談』に序文を寄せてくださった横山泰子先生の論文「目と耳と口で味わう円朝作品」(『文学』2013年3,4月号、岩波書店)にも芳幾はでてきます。絵師としての評価は「月岡芳年に押され気味」とのことですが、芳幾は「新聞事業のパイオニア」なのだそうです。

東京で最初の日刊新聞『東京日日新聞』の刊行は明治五年で、条野伝平、西田伝助、落合芳幾らが事業の中心人物だった。また、芳幾は『平仮名絵入新聞』を創刊し、紙名変更後の『東京絵入新聞』の社主として経営にもあたった。(横山、前掲論文)

絵筆によるジャーナリストとして活躍されたのでしょう。

物語の内容に一致させました

両方を読み比べた方はお気づきと思いますが、小社の『実録四谷怪談』と、明治の『今古実録四谷雑談』では、挿絵を掲載する場面が違っているところがあります。これは、間違えたのではありません。
例えば、小社の『実録四谷怪談』では「怪異は続く【田宮伊右衛門屋敷不思議有事 付四男鉄之助死事】」に掲載したこの絵。

これは『今古』では「伊右衛門が妻お花病気の事 付倅権八郎死去の事」に掲載されています。小社の『実録四谷怪談』の「悪い夢なら覚めてくれ【田宮伊右衛門女房病気の事 付惣領権八郎死事】」にあたる場面です。
この絵が『今古』のとおりだとすると、布団の上で御幣を持って父・伊右衛門に何か訴えているのは伊右衛門の長男、権八郎ということになります。この場面の権八郎は十八歳か十九歳で、当時としてはもう立派な大人、元服して前髪を剃ってまげを結っていたはずです。
ところが、この絵では前髪を落としていませんし、顔立ちも子どものように見えます。
そして、画面左下の人物にご注目ください。肩にかかるロングヘアをオールバックにした中年男性がいます。総髪という髪型で、『雑談』の登場人物のうち、伊右衛門の身近にいて総髪の男性といえば、隠居して土快と名乗った伊東喜兵衛だけです。ところが、権八郎病死の場面に伊東土快は登場していないのです。
子どもが病気になる場面で、かつ、伊東土快が登場するのは、権八郎の弟、鉄之助(十三歳)が何かに取り憑かれた場面だけなのです。
十三歳の鉄之助ならまだ元服前で前髪があるのもうなずけますし、手に御幣を持っているのも、妖怪に取り憑かれたらしい鉄之助に、土快らその場にいあわせた人たちが魔除けのお守りを持たせたという記述に一致します。
以上の理由から、小社の『実録四谷怪談』では、この絵を「田宮伊右衛門屋敷不思議有事 付四男鉄之助死事」の内容を描いたものと判断し、掲載箇所を移動いたしました。
おそらく落合芳幾も、そうだ、その場面のつもりで描いたんだよ、と言ってくれるのではないかなと思っています。