白澤社ブログ

人文社会系の書籍を刊行する小さな出版社です。

クリスマスだからシモーヌ・ヴェイユ

今日はクリスマスですね。
日本ではクリスマス・イブの方がにぎやかに祝われますが、クリスマスといえば今日、12月25日です。
というわけで、シモーヌ・ヴェイユ『前キリスト教的直観』(今村純子訳・法政大学出版局)から、プラトンティマイオス』にふれた珠玉の言葉をご紹介します。
版元・法政大学出版局さんの紹介ページ↓
http://www.h-up.com/bd/isbn978-4-588-00964-8.html
以下、引用はすべて前掲の今村純子さんの訳から、漢数字は引用箇所のページ数です。
プラトンは、世界ないし天空と述べることで、世界の魂のことを述べようとしている」(二八頁)。
ティマイオス』は宇宙の創造を語る壮大な叙事詩ですが、話が大きすぎてくらくらします。でも、これは「世界の魂」についての話なんだといわれると、なんとなくそうかなと思えるのが不思議です。
なかでもわかりづらいのが、36d-37aのあたりで語られる比例による説明。ティマイオスはいろいろな数値をあげて、比例になっていることを説明しますが、数学オンチとしては数字を並べられれば並べられるほど、だからどうなの?という気分になるものです。比例が成立したから宇宙が出来あがるという理屈はなんとも腑に落ちません。
ところが、ヴェイユは次のように考えます。

比例と調和は類義語である。比例は、比例中項によるふたつの数のつながりである。(中略)相反するものの最初の対は、神と被造物である。子は相反するものの一致であり、神と被造物のあいだに比例を生み出す幾何学的中項である。それは〈媒介者〉である。(三二頁)

「比例と調和は類義語である」!
なるほど、こういわれるとプラトンティマイオスに語らせているのは、宇宙の構成原理としての調和のことだったのかと、よくわからないなりになんとなく納得してしまいます。

わたしたちは自らのうちに世界の秩序を生み出さねばならない。ここに、ミクロコスモスとマクロコスモスという考えの源がある。中世の人々はこの考えにとり憑かれていた。この考えには、計り知れない深さがある。その鍵となっているのは円運動という象徴である。(三三頁)

ヴェイユが『ティマイオス』の宇宙論に読み取ったものはコスモスの思想だったようです。
それも機械的な秩序ではなく、その根底には神の愛がありました。

ティマイオス』の核となる考えは、わたしたちが生きるこの宇宙の基体でもあり実体であるものは、愛だということである。宇宙は愛によって創造されたのであり、宇宙の美はこの神の愛のゆるぎない映しであり徴である。(四二頁)。
ティマイオス』の第二の考えはこうである。この世界は、神自身である神の愛の鏡であるのと同時に、わたしたちが倣うべきモデルでもあるということだ。というのも、わたしたちもまた、原初にそうであった神の似姿に還帰しなければならないからである。神の〈ひとり子〉であり世界の秩序を思考する完璧な〈イメージ〉に倣うことによってのみ、わたしたちはそれをなしうる。(四三〜四四頁)

いかがでしょうか。少しはクリスマスらしい話になったでしょうか。
ちなみに、ヴェイユが論じているプラトンティマイオス/クリティアス』(岸見一郎訳)は、小社から絶賛発売中です(当社比)。