白澤社ブログ

人文社会系の書籍を刊行する小さな出版社です。

プラトン最後の旅2―光瀬龍『百億の昼と千億の夜』より

「……賢者ソロンの遠戚、アテーナイに名だたる名門……アリストンさまの……プラトンさま……私めが所蔵いたす……」
 そんな言葉が切れ切れに彼の耳にとどいてきた。彼は気ぜわしく二、三度うなずきかえすと、もう聞くのをやめて周囲の暗闇を見まわした。(中略)
 ふと気づくと、もうつぶやきは終っていた。プラトンは視線を自分の前にうずくまっている人影の上にもどした。
「おう、あなたがアトランティスについてくわしく記された文書をお持ちだというプリクトン隠退神官さまですね」

光瀬龍百億の昼と千億の夜』(早川書房)より。
版元・早川書房さんの紹介ページ↓
http://www.hayakawa-online.co.jp/product/books/21000.html
漫画版版元・秋田書店さんの紹介ページ↓
http://www.akitashoten.co.jp/comics/4253170021
小社は、岸見一郎訳・プラトンティマイオス/クリティアス』を校正しながら、光瀬龍百億の昼と千億の夜』を読み返していました。
作者光瀬龍は、単にアトランティス伝説の話題を引き出すためにプラトンを登場させたのではなく、『百億の昼と千億の夜』という作品には、プラトンティマイオス』と『クリティアス』を作家がどう読んだか、その読書体験が反映されているようにも感じられました。
何回かに分けて、作家の描いたプラトンの旅に憑きそいながら、『百億の昼と千億の夜』のなかにプラトンの痕跡を探してみます。
今回は第2回、前回は↓
http://d.hatena.ne.jp/hakutakusha/20151105/1446719894

アトランティス文書

百億の昼と千億の夜』「第二章 オリハルコン」より、サイスの神官からアトランティスについて記された古文書を借り受けて、それをプラトンが読みふける場面の続きです。

 今、この文章は非常な自信をもって喪われた古都について書き誌していた。
〈――首都ヲトリマク環状ノ運河ニハ無数ノ橋ヲカケ、王ヤ王妃ハコノ運河ヲ伝ワッテ首都ノドコヘデモ極メテ容易ニ出カケルコトガデキタ。コノ運河ハ外洋ニ通ジテイテ、首都ヲトリマク三ツノ環状運河ノウチ、モットモ内側ノモノデサエ三段橈船デ航行スルコトガ可能デアッタ。両岸ハ高ク、ソレラノ船ノ高イ帆柱デサエ橋ヲクダルノニイササカモ支障ヲ来タサナカッタ。マタ止ムヲ得ナイ所デハ橋ハ開閉シタ。王宮ノ建造サレテイル中央ノ島ハホボ円形デアリ、高イ幾ツカノ塔ト門ヲ備エテイタ。石ハ周囲ヤ中央ニ位スル島ヤ、内側ヤ外側ノ環状都市ノ地下カラ切リ出シタ。一ツハ白、一ツハ赤、ソシテモウ一ツハ黒ダッタ。石ヲ切リ出シタアトノ空所ハ貯蔵庫、オモニ兵器庫ト果樹酒ノ貯蔵庫ニ用イラレタ。ソレハ天井ガ岩デタタマレ、内部ガ二重ニナッテイル洞窟デアル。
 建造物ハアルモノハ一種類ノ色、アルモノハ斑色ニ造ラレタ。モットモ外側ノ環状都市ノ外壁ハ波ウチギワカラ銅ヲ充分ニ使ッタ岩ノ壁デアリ、ソノ内部ハ銀ト錫トデ張ラレテイタ。アクロポリスハホノオノヨウナおりはるこんデオオワレテイタ――〉
 プラトンはこの呼びなれないふしぎな金属の名を口の中でくりかえした。考えれば考えるほど深い謎がひめられているようであった。それにたいへん気になることが幾つかあった。

この文章を読んでいる読者としても「たいへん気になること」があります。
作中でプラトンが読んでいる、羊皮紙にエトルリア地方の言葉で書かれたアトランティス王国の記録(引用文中漢字カタカナ混じりで記されている箇所)、これはプラトンが『クリティアス』で描いたアトランティスの様子そのままではありませんか。
一例として、小社刊『ティマイオス/クリティアス』から岸見一郎さんの訳文(p193)と対比してみましょう。

なお、それらの建築物には一色の石材だけで建てたものや、楽しみのために各種の石材を混ぜて彩りを工夫し、建物に内在的な魅力が備わるように配慮したものもあった。それにまた、彼らは一番外側の陸地環状帯を囲む壁のまわりを塗料を使ったかのように銅板で覆い、内側の陸地環状帯の壁のまわりは錫板で、アクロポリスをじかに囲む壁は炎のように輝くオレイカルコスで覆った。

次は、上でも引いたカタカナ混じりの文章から該当箇所。

 建造物ハアルモノハ一種類ノ色、アルモノハ斑色ニ造ラレタ。モットモ外側ノ環状都市ノ外壁ハ波ウチギワカラ銅ヲ充分ニ使ッタ岩ノ壁デアリ、ソノ内部ハ銀ト錫トデ張ラレテイタ。アクロポリスハホノオノヨウナおりはるこんデオオワレテイタ――

そっくりです。

ちなみに、岸見さんがオレイカルコスと表記しているのは、オリハルコンとも呼ばれていることは前回述べたとおりです。
こうしてみると、光瀬龍の小説のなかでプラトンが読んでいる古文書「アトランティス文書」とは、実在したプラトンの書いた『クリティアス』に他ならないであろうことは明らかです。
もちろん、『百億の昼と千億の夜』のなかの「アトランティス王国の記録」とは、作者光瀬龍がこの場面を描くにあたってプラトンの著作から抜き出してアレンジしたものに違いないのですが、その際、作家は、プラトン『クリティアス』にこう書いてある、とせずに、作中でプラトンの読む古文書とすることで、入れ子構造のような、合わせ鏡のような世界を作り出しています。
つまり、『クリティアス』の執筆者プラトンをモデルに作り出された小説中のプラトンが『クリティアス』を読んでいるわけです。
長くなりますのでこの続きはまた。