白澤社ブログ

人文社会系の書籍を刊行する小さな出版社です。

プラトン最後の旅1―光瀬龍『百億の昼と千億の夜』より

新星雲紀。双太陽青九三より黄一七の夏。アスタータ五〇における惑星開発委員会は、〈シ〉の命を受け、アイ星域第三惑星にヘリオ・セス・ベータ型開発をこころみることになった。

これはファンなら暗誦できると言われている日本SFの傑作、光瀬龍百億の昼と千億の夜』(早川書房)の一節です。
版元・早川書房さんの紹介ページ↓
http://www.hayakawa-online.co.jp/product/books/21000.html
今の文庫版の表紙イラストは、漫画化した萩尾望都先生によるものですね。
漫画版版元・秋田書店さんの紹介ページ
http://www.akitashoten.co.jp/comics/4253170021
小社刊プラトンティマイオス/クリティアス』には、特に『ティマイオス』に言及した現代の思想家たちの書籍リストを巻末付録として掲載しています。ホワイトヘッド西田幾多郎シモーヌ・ヴェイユアーレントハイデガー、ヨーナス、ドゥルーズクリステヴァデリダら、そうそうたる顔ぶれが並んでいますが、小社が校正しながら思い浮かべていたのは、この光瀬龍百億の昼と千億の夜』でした。
というのも、この小説にはプラトンが登場するのです。
気になって読み返してみますと、作者光瀬龍は、単にアトランティス伝説の話題を引き出すためにプラトンを登場させたのではなく、『百億の昼と千億の夜』という作品には、プラトンティマイオス』と『クリティアス』を作家がどう読んだか、その読書体験が反映されているようにも感じられました。
何回かに分けて、作家の描いたプラトンの旅に憑きそいながら、『百億の昼と千億の夜』のなかにプラトンの痕跡を探してみます。

オリハルコン

プラトンが登場するのは、「第二章 オリハルコン」です(萩尾望都による漫画版では「第1章 アトランティス幻想」)。
冒頭には「汝、塵にかえれ。/汝、塵より生れたなればなり。」と、旧約聖書創世記の言葉が掲げられていますが、物語はエジプトのサイスからアトラス山脈にかけての地中海南岸を旅する老プラトンが主人公です。
アカデメイアの学園を塾頭スペウシッボスにまかせ、従者グラディウス一人だけをつれてサイスにおもむいたプラトンは、老いた神官からアトランティスの伝説を記した古文書を借り受けます。

プラトンさま、アトランティス王国の記録でございます」
 プラトンの目が光った。胸前に垂れた麻布を肩へはねのけると、羊皮の一つをとり出して手早く拡げた。ほこりや砂が鼻や口を打ったが、彼はかまわずそれを持って土間の炉のそばへ走った。何かをけとばしたらしく、ひどい物音がして液体がはね散ったが、それには目もくれず、彼は羊皮を弱い火にかざした。エトルリア地方の言葉で書かれた数行が目に飛びこんできた。
〈――アトラスカラハ多クノ名門ニ属スル数々ノ名家ノ家系ガアラワレタ。彼ラハヒトシク巨富ヲ所有シテイタ。ソレラハ、カツテイカナル王侯トイエドモ所有シタコトモナク、マタ今後モ容易ニ所有スルコトヲ得ナイホドノモノデアッタ。多クノ品物ハ広範ナ帝国ノ支配ノ故ニ国外カラモタラサレタ。シカシソレ以上ニ市民タチニトッテ重要ナコトハ、彼ラニ必要ナモノノスベテハ、コノ大キナ島カラ産シタノデアル――〉
 プラトンは汗をふくことも忘れ、何匹かの小さな虫が脛を伝わって這い上ってくることにも気づかず、その先を読みふけった。
〈――タトエバ帝国内ノアチコチカラ採掘サレルおりはるこんハコノアトランティスノ都ノアラユル建築物ヲカザリ、ソノ壁ヲ黄金ヨリモ美シク青銅ヨリモ堅固ニシテイタ――〉
オリハルコンか!」
 プラトンは羊皮の文字から目を離し、明滅する弱いほのおの舌を見つめた。その金属の名前は、先年彼がファユムの町にまねかれたとき、たまたま耳にした西方の大陸、アトランティスについての若干の伝説の中にもあらわれてきたものだった。

オリハルコンは、手塚治虫原作『海のトリトン』や庵野秀明監督のアニメ『ふしぎの海のナディア』でもおなじみの、アトランティス伝説由来の金属です。
小社刊『ティマイオス/クリティアス』の訳者岸見一郎さんはよりギリシア語に近い表記として「オレイカルコス」としています。岸見さんの訳注によれば、「文字通りには「山の銅」という意味」で「真鍮だと考えられる」ということです。
ただし、岸見さんは「「今はただ名前でしか知られていない」といわれていることから、もっと貴重な金属を指しているのかもしれない」と付け加えているので、ここで結論は出せませんが…。
プラトンの旅、長くなりますのでこの続きはまた。