白澤社ブログ

人文社会系の書籍を刊行する小さな出版社です。

プラトン最後の旅6―光瀬龍『百億の昼と千億の夜』より

 プラトンの西方への旅の従者であり、またプラトンに影形ともなった私設秘書でもあるグラディウスは、晩年をカルタゴのビスクラで人目を忍ぶように送った。彼は酒に酔ってしばしば人に語った。自分は古代ギリシャの神話の英雄アトラスを見た、と。アトラスは巨人であり、天空を支える彼の国を〈アトランティス〉という、と。そして彼の主人は真の巨人を求めて天空へ去った、と。

光瀬龍百億の昼と千億の夜』(早川書房)より。
版元・早川書房さんの紹介ページ↓
http://www.hayakawa-online.co.jp/product/books/21000.html
漫画版版元・秋田書店さんの紹介ページ↓
http://www.akitashoten.co.jp/comics/4253170021
小社は、岸見一郎訳『ティマイオス/クリティアス』を校正しながら、光瀬龍百億の昼と千億の夜』を思い出していました。
百億の昼と千億の夜』の「第二章 オリハルコン」(萩尾望都による漫画版では「第1章 アトランティス幻想」)にはプラトンが登場するのです。
この日本SFの傑作を読み返しながら、作者光瀬龍は、アトランティス伝説の話題を引き出すためだけにプラトンを登場させたのではなく、『百億の昼と千億の夜』という作品にはプラトンティマイオス』と『クリティアス』を作家がどう読んだか、その読書体験が反映されているのではないかと感じられました。
何回かに分けて、作家の描いたプラトンの旅に憑きそいながら、『百億の昼と千億の夜』のなかにプラトンの痕跡を探してみます。
今回は第6回、前回は↓
http://d.hatena.ne.jp/hakutakusha/20151113/1447413440

ソクラテス的対話

光瀬龍の小説のなかのプラトンはサイスを後にしてカルタゴを経てさらに西へと地中海南岸を旅します。
たどりついたのはアトランティスゆかりの人々が今も住むというエルカシア。
そこでプラトンは奇妙な体験をして物語はいよいよ佳境に入ることになるのですが、その前に、引用が長くなって恐縮ですが、次のくだりをご覧ください。
プラトンが、エルカシアの長である「宗主」と会見する場面です。

「のう。宗主どの。おたずねしたいことが二つ、三つあるが」
「どのようなことか」
「かつて神々がこの世のすべての土地を区分けしてその子らにあたえたとき、海神ポセイドンは大海に浮かぶ大いなる島をねがって人間の妻の子の生んだ子孫をしてその地をおさめさせたと聞く。ポセイドンの長子であるアトランタは、その一族とともに父なるポセイドンの残した彼の島、さらに周囲の幾十の島々を支配し、リビアはエジプトより熱い海まで、さらにティレニア、シリア、ヘレポントスの山々や海までをその領域に加えたという。さらに彼の海岸王国をめぐる海のはるか西のかなたにある未開の大陸まで、かれとかれらの故郷の一部に加えたといわれる。その勇敢さと剛毅、正直さと惜しみない労働の心を持ち、美と音楽を愛して争うことのなかった神意の人々の王国の話を、私は実に感慨深く心にとめている。宗主どの」
 プラトンの目はまっすぐに宗主の黒い影を見つめ、宗主の姿は緑色の光を背に、貼りつけられたように動かなかった。
「この王国を幾つかに分けてあずかる王たちは、決して武器をとってたがいに敵対することなく、祖先の教えにしたがってその最善をつくし、また王たちの上に立つ王の王たるアトラスの一門はそのすべてをあげて輩下の王たちとかれらの市民のために神意の発現につとめた。そうだな。宗主どの」
「そのとおりだ」
「そしてポセイドンの神命はこの王国にあっては何人も犯すべからざる天の命であった。なぜなら、その天の命はすなわち人の命であり、民の心すなわち王の、また王の王たる者の心でもあったからだ。ここにおいて祭りはただちに、政を意味していたからだ。そうだな。宗主どの」
「いかにもそのとおりだ」
 宗主は深くうなずいた。
「それではあらためて聞こう、宗主どの。かくも天の意にしたがい、善と美なるものをいただき、つねに真なるものを心の指標となした栄光の子、アトランティスの人々が亡んだのはなぜだ? 神の意志を帯して法が編まれ、人々は善なるものの追求に力をいたすことをいとわなかったと聞くが、なにがかれらを亡ぼしたのか。天の神はこの人々をこそ永くよみせられたもうはずではなかったのか?」


一問一答式で問いを積み重ねていくこのやりとり、プラトンの対話篇の読者ならおなじみの、ソクラテスの問答によく似ていませんか?
相手がYESとしか答えようのない問いをたたみかけて外堀を埋めてから、おもむろに核心的な問いを突付ける。いかにもプラトンの描くソクラテスの対話のパロディです。
こうしたところにも、光瀬龍が彼なりにプラトンを読みこんで『百億の昼と千億の夜』を執筆したことが感じられるのです。
今回は引用ばかり長くなりました。
次回で最終回といたします。