白澤社ブログ

人文社会系の書籍を刊行する小さな出版社です。

『生を肯定する倫理へ』が紹介されました

野崎泰伸著『生を肯定する倫理へ』が、「出版ニュース」9月上旬号の「ブックガイド」欄で紹介されました。
以下、該当箇所を引用させてもらいます。

著者が考えていることは、「障害者にとって『正義』とは何か」ということである。結論から言えば「生の無条件の肯定」という立場が正義であり、これこそが倫理的命令であると述べ、1すべての生は無条件に肯定される、2生のなかには肯定されるべき生と否定されるべき生がある、3すべての生は無条件に否定されるという立場を想定し、功利主義者は「命の質」を論拠に2を正当化するが、1から3までの立場の違いは「線引きの場所」をどこにするのかという問題であると看破する。おそらく2を支持する者はニヒリズム的な立場の3を拒否しながら、1という立場は非現実的だという理由で避け、2を正当化しているだけで、この立場においては、ロールズやシンガーらの現代の倫理学も結論は可能なもののなかから見出しているだけという限界をもつという。日本の障害者運動や障害の医学モデルと社会モデルの解説も。

「終章 生を肯定する倫理へ−境界線の正当化に抗う正義論」を中心にご紹介いただきました。ありがとうございました。
なお、この「出版ニュース」9月上旬号の「ブック・ストリート」欄には、長岡義幸氏の「津波の跡に残っていた本」と題されたコラムが寄稿されていました。
長岡氏は「東京電力原発爆発事故のせいで警戒区域になってしまった福島県の旧小高町」の出身だそうです。この8月、津波に呑まれた町に妹さんとその息子さんが一時帰宅されたとのこと。

一時帰宅した妹は、実家のあったあたりも徘徊し、転がっていた本を見つけた。電話口で妹が「なんだか原発反対の本みたいだった。誰がそんな本を読んでたのかと思った」と言った。「あのあたりでそんな本を読む人はいないだろ。オレの本かもしれない」と私は応えた。甥っ子が写真を撮っていたので、後で書名を確認してくれることになった。
その本は『UP選書 放射線障害を語る』吉澤康雄著(東京大学出版会、1978年)だった。予想に違い、私の本ではなかった。スリーマイル島原発事故の前年に出た本だ。すでに絶版のようだ。いったいどんな内容の本だったのか気になり、古書店で手に入れ、読んでみた。

「専門書ではあるものの、人間味溢れる内容」で、「後半には、原発放射線管理の考え方」が書かれており、「公衆の被曝量の許容レベルが放射線作業従事者よりもかなり低く抑えられている」理由について、「国際的に承認された基準をかみ砕いて説明」したあったそうです。

最大の収穫は、原発反対と公言する自由がほとんどなかったわが田舎で、国や電力会社の言うまま、流されていたと思っていた実家の近所の人たちのなかに私以外にも、原発と被曝労働に疑問を持っていた人がいたらしいとわかったことだ。津波原発事故がなければ、知り得なかったのが悲しいのだけれど。

このくだりには、小社も本の仕事をしている者として胸に迫るものがありました。本は残るものなんだということ、本が残されていればそれを読んでくださった人がいたことがわかるということ、けれども、その本の読者は今どうなさっているのだろうと思うと…。
そして、大震災が起きたのは『生を肯定する倫理へ』の刊行準備の真っ最中でした。製紙会社さんが津波の被害にあわれ、岩手・宮城・福島・茨城の書店さんにも大きな被害があり、春に予定していた同書の刊行を6月に延期したことが思い出されます。
長岡氏のコラムは、野崎さんのご著書とは直接の関係はありませんが、『生を肯定する倫理へ』の紹介記事が掲載された同じ号に、本と震災をめぐる文章があったのでご紹介しました。