白澤社ブログ

人文社会系の書籍を刊行する小さな出版社です。

ブルジェール『ケアの倫理』白水社

ファビエンヌ・ブルジェール著『ケアの倫理―ネオリベラリズムへの反論』(原山哲/山下えり子訳、白水社)を読みました。
版元、白水社さんの紹介ページはこちら↓
http://www.hakusuisha.co.jp/detail/index.php?pro_id=50987
原著者のファビエンヌ・ブルジェールさんについてはまったく存じあげなかったものですから、上掲の白水社さんのサイトより控えておきます。

ファビエンヌ・ブルジェール Fabienne Brugereフランス・ボルドー・ミシェル・モンテーニュ大学哲学教授。ボルドー都市共同体開発委員会委員長を務め、社会行動、社会政策にかかわっている。Le sexe de la sollicitude(Paris, Le Seuil, 2008)、La politique de l'individu, La Republique des idees(Paris, Le Seuil, 2013)などの著書がある。

巻頭には「フクシマの後、私たちの世界は同じではない」と題された「日本語版への序文」が掲げられています。冒頭の一節を引用します。

かつてないほど、私たちは「ケア」(care)の倫理を必要としている。人類はみずからの弱さをますます自覚しているが、他者へ関心をもち、他者に配慮する実践を展開することが、共に生きること、社会をつくる仕方を考えることになる。万人の万人にたいする競争、とどまることのない金融投機の資本主義において、どうしたら、自分だけに閉ざされず、他者と共に生きることができるのだろうか?
日本やヨーロッパ諸国のように高齢化の進んだ社会では、どのように高齢者を「配慮する」ことができるのか? そして、二〇一一年三月の震災以降の東日本において、これまでの生活の土地を離れ避難を余儀なくされた人びと、近親者を失った人びと、将来の見通しに難しさを抱えている人びとに、どのように「配慮する」ことができるのか?

第一章は、もっぱらキャロル・ギリガン『異なる声』を導きの糸にして、フェミニズム倫理学のなかで「ケア」という概念が磨き上げられてきたプロセスを追います。
とはいえ、単なる祖述ではありません。平等や「公共の議論と対話に依拠する民主主義の文化を重視している」点で、「「ケア」の倫理は、ポール・リクールの『他者のような自己自身』における考察と一致する」としているところが興味深いですね(リクールの本は法政大学出版局さんから邦訳が刊行されています)。

リクールにとって、心づかいとは、自我の尊重による相互交換を前提としている。行為者間の非対称性の関係は、平等化の相互性によって倫理的となる。心づかいの声は次のことを主張する。さまざまな人びと、お互いのあいだの他者性、権力の差異は、人類という拡散した抽象的な観念によって無視されてはならない。
(中略)倫理は、心づかいによって開示される。それは、非対称的関係や、道徳原則や権利が錯綜している状況において、相互の絆、条件の平等化を可能とする。

ところで、ギリガンの名著は『もうひとつの声』として川島書店さんから邦訳が出ていたはずなんですが、ちょっと調べてみたら版切れ(絶版?)のようですね。新訳準備中とのうわさも聞きましたが、あまり先にならないようにお願いしたいところです。
第二章では、「配慮すること/リベラルな個人への対抗」と題して、ネオリベラリズム批判を意識した議論が展開されます。
この章の冒頭ではフーコーの生政治論が引き合いに出されていますが、議論が進むと小社から邦訳を刊行しておりますエヴァ・フェダー・キテイ『愛の労働または依存とケアの正義論』(岡野八代・牟田和恵監訳)を繰返し参照しながら、人間の弱さの意味、ロールズ『正義論』でさえ前提とされている「自立した強い個人」という人間観への批判、依存という観点からの平等のとらえ返しなどが論じられていて、この章は実質的にキテイ哲学の再構成になっています。
第一章でリクールをふまえて「人類という拡散した抽象的な観念によって無視されてはならない」と言っていたのも、第二章のキテイによるロールズ批判と響きあっているように思います。
「第三章 感受性の民主主義」でも、キテイさんと重い障碍のある娘セーシャさんとの関係性について紹介しながら、次のように述べています。

世話する人/世話される人という関係は、次のような考えに依拠している。「配慮する」、依存状態にある人に付き添うことは、倫理的態度を前提としている。不利な状況にある人を支えるということは、その人の尊厳、生きる力、私たちと世界をつくる力を大切にすることなのだ。

以前、キテイ『愛の労働または依存とケアの正義論』監訳者の岡野八代さんから「キテイさんて日本ではほとんど知られていないけれど、すごい人なんだよ」と聞かされていましたが、本当だったんですね。
と、いささか我田引水な感想で恐縮ですが、アメリカのフェミニストたちから始まったケア倫理が、ボーボワールを生んだフランスでどう受け止められているのか、興味深く読みました。