白澤社ブログ

人文社会系の書籍を刊行する小さな出版社です。

三木清の花見

いよいよお花見の季節ですね。
小社のそばにある神田川沿いの桜並木ほぼ満開です。

川面に散った花びらもきれいです。

お天気は曇りがちですが、都内の気温は暖かく、夜桜見物にはうってつけの夜です。
ふと思いついて、小社刊『三木清『人生論ノート』を読む』(岸見一郎著)の編集資料として買いこんだ『三木清全集』(全二十巻、岩波書店)から、第十九巻に収録されている三木の日記をぱらぱらとめくってみました。
哲学者・三木清は花見をしたのか?
たぶん思想史的には全く意味のない問題意識で三木の日記を読んでみました。
すると、桜に関する記事がいくつか見つかりました(以下、引用にあたり漢字は新字体に差替え)。

1936年の日記から。

二二六事件の起きた年、三木が未完に終わった主著『哲学的人間学』の執筆に苦心していた頃です。

三月二十二日
朝十時頃崎田が来て一緒に散歩しないかと云ふので、大宮公園へ行く。桜の蕾はまだ小さかつたが、歩くと少し汗ばむほどの暖かさであつた。

三木が散策した大宮公園とは、花見の名所として有名な埼玉県大宮市の公園のことではなく、三木の住んでいた高円寺から歩いていける、杉並区大宮のあたり、おそらく和田堀公園だったのではないかと思われます。
和田堀公園も桜の名所ですし、かつては大宮公園と呼ばれていたそうです。参考↓
http://www.suginamigaku.org/2007/12/old-watershoot.html

四月五日
昨日の植木屋が桜と木蓮とを持つて来て植ゑる。ほんとの春日和だ。洋子は妻にれられて音楽会に行く。子供たち自身で演奏するのださうである。天気が好いので殆ど終日庭で暮す。

三木が庭いじりを好んだことは、エッセイ「家居旅心」(全集第十七巻)にも出てきますが、なんと、桜の木まで植えていたようです。

四月十七日
数日来たまつてゐた手紙の整理をする。
午後小林来り、岩波の新しい出版計画についていろいろ相談した。
夕方犬を連れて散歩する。今年は陽気が遅れて、丁度今が桜の満開だ。

一九三六年の春は遅かったようです。この日、満開の桜を眺めながら、哲学者は愛犬と散歩をしていました。

四月十八日
一家連立つて上野の動物園へ行く。桜には少し遅い。洋子カンガルーを喜ぶ。精養軒で食事をして帰る。

上野も桜の名所ですが、もう散り始めていたようです。カンガルーを見て喜んだのは愛娘の洋子さんです。この日、一緒に花見を楽しんだ喜美子夫人は、この年の夏、急逝しました。

1938年の日記から。

四月二日 土
熱が相変らず降りないので、黒川さんに診察を頼む。風邪だとのこと、心配は要らないといはれる。
二階の窓から外を見ると、俄に桜の花が満開になつてゐるので驚く。

三木は風邪を引いて前日から休んでいました。
四月一日の日記には「寝床へ食事を運ばせて、終日引籠る。心の落付きを妙に感じる。病気もたまには好いものだ」と、まるで『人生論ノート』の「死について」にある次の文章を連想させます。

私はあまり病気をしないのであるが、病床に横になつた時には、不思議に心の落着きを覚えるのである。病気の場合のほか真実に心の落着きを感じることができないといふのは、現代人の一つの顕著な特徴、すでに現代人に極めて特徴的な病気の一つである。(新潮文庫、七〜八頁)

この年の六月から三木は『文学界』で「人生論ノート」の連載を始めます。