白澤社ブログ

人文社会系の書籍を刊行する小さな出版社です。

プラトン最後の旅5―光瀬龍『百億の昼と千億の夜』より

 このとき、プラトンははっきりと、明日は西へ向って旅立とうと思った。彼はむしょうに一人になりたかった。はるかな西、ポセイドンの海のただなかに在ったという、〈神の怒りに触れた〉大陸が、彼自身の故郷であるかのように切なかった。

光瀬龍百億の昼と千億の夜』(早川書房)より。
版元・早川書房さんの紹介ページ↓
http://www.hayakawa-online.co.jp/product/books/21000.html
漫画版版元・秋田書店さんの紹介ページ↓
http://www.akitashoten.co.jp/comics/4253170021
小社は、岸見一郎訳『ティマイオス/クリティアス』を校正しながら、光瀬龍百億の昼と千億の夜』を思い出していました。
百億の昼と千億の夜』の「第二章 オリハルコン」(萩尾望都による漫画版では「第1章 アトランティス幻想」)にはプラトンが登場するのです。
この日本SFの傑作を読み返しながら、作者光瀬龍は、アトランティス伝説の話題を引き出すためだけにプラトンを登場させたのではなく、『百億の昼と千億の夜』という作品にはプラトンティマイオス』と『クリティアス』を作家がどう読んだか、その読書体験が反映されているのではないかと感じられました。
何回かに分けて、作家の描いたプラトンの旅に憑きそいながら、『百億の昼と千億の夜』のなかにプラトンの痕跡を探してみます。
今回は第5回、前回は↓
http://d.hatena.ne.jp/hakutakusha/20151112/1447327455

理想国家

サイスの司政官の館で饗応をうけるプラトンが、司政官お抱えの学者エイモスの質問に応える場面の続きです。

 エイモスは口の中でなにごとかつぶやき、ふたたび顔を上げた。
「理想国家は?」
 プラトンは音を立ててシチューをすすった。こんなかたちでイデアについて説くことなどむろんはじめてだった。これまでも酒を飲みながら、あるいは浴槽にひたりながら真理や美について討論したこともある。しかし今はそれらとは全く異ったあるルールのもとでの遊びだった。しかも相手にも出場者のメダルを与えなければならない遊びでもあった。
「理想国家は、真なるもの、善なるもの、美なるもの、の三つの超感覚的な普遍概念、すなわち本質概念を哲学的中心となした政治理念を持つことになる。つまり、だ」
 プラトンはなまぐさい羊乳を一口飲んで口の中のシチューの肉を胃に流しこんだ。
「理性はちえの鏡によって照らされることによって経験的理性から普遍的理性に発展する。万象に共通する本質概念である真理は、そうした普遍的理性だけが見出し得るのだ。この本質概念は個たる実在ではなく、あくまで普遍的客観だ。つぎに勇気によって選別されたところの意志だ。善は普遍的なるものの意志だ。さらに美は制約。無限なるものの現象面への投射。人間の内部にあっては情欲、恣意の節制としてあらわれる。この三つの本質概念の調和によって魂全体が正義の徳を備えるのだ。これが統治者の資格であり、同時にまた彼を補佐する者、そして、彼の市民のすべての資格なのだ」
 彼はおのれのアカデミーの学生にさとすように、一語、一語ゆっくりと言葉をつづけた。エイモスは首をたれて立ちつくしていた。果して彼に得心がいったのか、いかなかったのか、プラトンが語り終えるとエイモスはだまって低く頭を垂れた。プラトンはひどい疲れを感じてぶどう酒の盃をとり上げた。

この場面で説明されている理想国家論は、おそらくプラトン『国家』によるものでしょう。
ティマイオス』の冒頭にもソクラテスが理想国家について語る場面がありますが、小説中のプラトンのセリフのような概念による説明ではなく、もっぱらどのような人によって構成されるのがふさわしいかを具体的な例を挙げて話しています。
なお、岸見一郎訳『ティマイオス/クリティアス』16頁の訳注によれば、『ティマイオス』で語られる国家像は「『国家』の第二巻から第五巻あたりの内容に似ているが、『国家』で語られたことと必ずしも合致していない」のだそうです。ギリシア哲学の専門家である岸見さんとしては見逃せないところでしょうね。
ただし、作家・光瀬龍が作中のプラトンに『国家』をベースにした理想国家論を語らせ、語り終わった「プラトンはひどい疲れを感じてぶどう酒の盃をとり上げた」と描写したのには、光瀬龍なりのプラトン観があったものと思われます。
引用が長くなりますが、『百億の昼と千億の夜』のなかにそれが示されています。

ギリシャの市民である彼にとってギリシャの崩壊こそポリスの崩壊であり、今や現実の問題として提示されているギリシャ的世界の衰退を救う道はただ一つ、彼の『理想国家』である理想的ポリス社会の実現しかない、と彼は考えていた。しかし彼の政治への夢はその出発から早くも絶望的否定の方向をたどりはじめたのだった。時代は強大な帝国の出現を希求していた。一人の僭主による広大な地域の画一的経営が、せまい地域に多数の都市国家が乱立するポリス的社会経営にまさることは、当時すでに一部の知識人の間には語られていたことだ。
 後年、彼は(中略)シチリアディオニソス一世をおとずれ、その地でディオニソスの義弟ディオンを知り、プラトンにとって数少ない親友をつくる。そしてさらにディオニソス二世の代にもう一度、友人ディオンにこわれてシチリアをおとずれる。ここで彼は現実の政治なるものから痛烈な反撃をこうむり、ようやく彼の内部に、彼の『理想国家』に対する絶望が大きく翳を落しはじめるのである。その間に彼はしばしば各地を旅行している。クレタから、カルタゴ、さらに今のチュニジアからアルジェリア地方、またユダヤ地方からシナイ半島にまで足をのばしている。それらの旅行を通じて彼が何を見たかはいちがいにはいえないが、もはや現実のかなたへ遠く飛び去った彼の『理想国家』と、つねにむなしく敗れ去る彼の夢の背景に、未知の風土への孤独なよりかかりがあったであろうことはうなずける。そしてそのゆきつくところに彼の〈アトランティス〉があったのである。


プラトンシチリアで「現実の政治なるものから痛烈な反撃を」こうむったというのは、国政改革を志すディオンの助言者としてディオニソス二世の教育に当たったものの、シチリア国内の内紛に巻き込まれて、命からがら脱出しなければならなくなった史実を踏まえています。
つまり、光瀬龍は、プラトンアトランティスへの関心は、現実の政治を改革することに絶望したことにより、その反動から深められたのだと解釈しているわけです。
もっとも、史実のプラトンは晩年にも『ポリティコス(政治家)』や『法律』を執筆しているので、シチリアでの挫折の経験から理想国家追求に絶望したとまでは言えないと思いますが、光瀬龍が作中のプラトンの性格設定をそうしたのには、物語上の必然性というものがあったからでしょう。
話題は尽きませんが、長くなりましたのでこの続きはまた。