斎藤英喜編著『文学と魔術の饗宴 日本編』(小鳥遊書房)をご恵贈いただきました。
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https://www.tkns-shobou.co.jp/books/view/654
面白い本なのでさわりをご紹介します。
本書の趣旨や構成については巻頭に編者斎藤英喜氏のプロローグにゆずり、まず第一章中世の物語と呪術・身体 —御伽草子『御曹子島渡』と兵法書「虎之巻」をめぐって—(金沢 英之)。中世の御伽草子『御曹子島渡』は若き源義経が兵法の秘伝書を求める冒険の旅に出る壮大なファンタジー。金沢氏は作中の秘伝書と密教の世界観の関連を分析しています。
第二章の護符の神学 —中世神道と魔術の世界—(小川 豊生)もそうなのですが、本書は中世から始まります。素人考えでは古代の方が魔術っぽい話題が拾いやすいのではないかと思いがちですが、本書の場合、文学と魔術というテーマ設定があり、一方に文学が成立していなければならず、他方で魔術が「魔なるものの」の技術体系として正統の学問と別に成立していなければならない、という制約もあるのでしょう。
第三章『老媼茶話』の魔術(南郷 晃子)は、近世初期の怪談集『老媼茶話』を俎上に載せます。先日ご紹介した近藤瑞木『江戸の怪談』(文学通信)でも取り上げられた『老媼茶話』は実に面白い本で、小社の『丹後変化物語と化物屋敷』でも南郷さんが鋭いコラムを寄せてくれています。
第四章ラフカディオ・ハーンに誘われて(斎藤 英喜)以降は近現代の話になります。近世でもう一本ほしかったな、と思わないではありませんが、魔術が魔術になるのは実証科学の台頭と覇権があってこそなのでやむを得ないのでしょう。むしろ、このテーマで中世・近世に触れている方がすごい。近代科学によって知の周縁に追いやられた魔術と近代文学との関係を論じる第四章と第五章西洋近代魔術の到来—井上勤訳『龍動鬼談』をめぐって— (一柳 廣孝)こそは、本書の中核であって読み応え十分の論考です。
第六章三島由紀夫の超常論理—『美しい星』における円盤学と占星学—(梶尾 文武)と第七章崩れ墜つ天地のまなか—原民喜の幻視における魔術的現実—(清川 祥恵)は現代文学における魔術的なものを分析しています。
第八章『鬼滅の刃』における「鬼」たちの魔術的力—鬼の始祖・鬼舞辻無惨をめぐって—(植 朗子)は人気を博したマンガ『鬼滅の刃』のラスボス鬼舞辻無惨について、今や『鬼滅の刃』研究の第一人者ともいえる植さんが「吸血鬼」イメージと比較して論じています。説話文学における鬼と死者の類型を整理されているのは有益。
巻末にコラムが2本寄せられています。「法ごと」の消長 —佐々木喜善の「魔法」をめぐって—(渡 勇輝)は柳田国男『遠野物語』の原・著者佐々木喜善の小説「魔法」を分析して、佐々木の魔法の原像に遡及する野心的な論文です。
最後に、小説家の芦花公園氏が寄せたコラム「虚構の中で魔術を使う」に、魔術はそれを信じ、支持する集団がいなければ「魔術ではなく孤独な奇行だ。」という指摘があるのも面白く読みました。魔術の核心を言い当てているようです。
結局、目次をたどってしまいました。近現代にコメントが薄いのは小社怪談担当が江戸怪談に夢中なのでやむを得ないものとお許しください。
本書第三章の執筆者南郷さんがコラムを寄せている小社刊『丹後変化物語と化物屋敷』も好評発売中です。