白澤社ブログ

人文社会系の書籍を刊行する小さな出版社です。

『安政コロリ流行記』散歩、その三 水谷稲荷はどこに?

 安政五年(1857)にコレラ禍に襲われた幕末の江戸では、社会不安からかさまざまな流言が広まったことが『安政コロリ流行記』に記録されています。前回は、佃島で「野狐」に憑かれた事件をご紹介しましたが、現在の銀座あたりでも狐憑き騒動がありました。

 旧暦八月十八日、いまの千代田区八重洲一丁目あたりに住む煙管のすげ替え業の男が、突如として異様な言動をはじめました。同じ長屋の住人が集まって「さては野狐がとり憑いたのではないか」と問いつめると、自分は京都から江戸の鉄砲洲稲荷社に使いに来た狐で「野狐」ではなく八ッ狐である。今後、野狐にとり憑かれないためには、八狐親分三郎左衛門と書いて、門戸に貼るとよい」と話しました。八ッ狐のとり憑いた男は、語り終えるや外に駆け出し、水谷町角の稲荷社の拝殿の前で、「お頼み申す」と声をあげてバッタリと倒れました。気を失った男は長屋の住人が連れ帰って介抱し、意識を取り戻したということです。(以上、『安政コロリ流行記』106頁より要約)

 鉄砲洲稲荷(東京都中央区湊一-六-七)に行くつもりが途中の水谷町で用をすまそうとするあたり、江戸の土地勘のない京都の狐だからということなのかもしれません。

 切絵図を見てみると、水谷町は現在の中央区銀座一丁目、水谷橋公園のあたりです。切絵図には水谷町にあった白魚屋敷の一画に稲荷社が記されています。

 地下鉄銀座一丁目の駅を出て、地図を頼りに水谷橋公園に行ってみて驚きました。公園のあるはずのところは保育所の入る三階建てのビルになっていて、公園はそのビルの屋上にあったのです。

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↑水谷橋公園、エレベータで屋上庭園に上がれます。

スポーツ施設詳細画面 「水谷橋公園」 (mappage.jp)

 素敵な屋上庭園でしたが、残念ながら写真を撮り忘れてしまいました。

 ちなみに稲荷神社らしきものは見当たりませんでした。

 水谷橋公園から、かつての白魚屋敷のあったあたりはどこだろうと歩いてみたら、木が植えてあるだけの小さな空き地がありました。公園がビルの屋上になるような東京の都心部で、異例ともいえる光景でした。

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 もしや、ここがかつての水谷稲荷の跡か?とも思いましたが、確証はありません。尻切れトンボで恐縮ですが、この日の探索はこれで終わりにしました。

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