新刊『安政コロリ流行記―幕末江戸の感染症と流言』は、安政五年(1857)にコレラ禍に襲われた幕末江戸の世相を描いたドキュメントですが、当時話題になった奇談をいくつも記録しています。
そのうちの一つに、佃島(東京都中央区佃)の狐憑き騒動があります。本書掲載の現代語訳からご紹介します。
〇この八月中旬、佃島の漁師の何某に、野狐がとりついたという。近所の者たちが駆け集まって、神官や修験者に祈祷を頼み、あれこれと責めたてた。そのかいがあったのか、狐はその者の体を抜け出して屋外へ逃げ去った。居あわせた人々は、逃げる狐を追いかけて捕まえ、即座に打ち殺した。そうしたところ、そのあたりの有力者のはからいで、その狐の亡骸を焼き捨てて煙とした。そして、そのあたりに三尺四方の祠を建てて狐の霊を祀り、尾崎大明神と称して崇めたという。(『安政コロリ流行記』p87-88)
この尾崎大明神について訳注には「現在の中央区佃一―八―四にある於咲稲荷波除稲荷神社がこれにあたるか」とあります。
現地、佃島へ行ってみました。
地下鉄有楽町線月島駅を出て隅田川方向に歩くと、水路を背にして小さな社が見つかりました。
鳥居の向こうに小さな社が二つ、右が於咲稲荷社、左が波除稲荷社で、この地域が開発される過程で合祀されたようです。
「於咲」は「尾崎」の当て字、そして、関東地方では憑き物として広く知られたオサキ狐のことだったのでしょう。
尾崎大明神は実在した(かもしれない)、と勝手に確信いたしました。
神社の裏手には、江戸時代から続く佃煮の老舗がありました。
隅田川の対岸には高層ビルが立ち並んでいます。
江戸の名残と東京の現在を一目で見渡せたような気分になりました。
最寄の月島駅南側には、名物もんじゃ焼きのお店がいくつもありました。コロナ禍の心配がなくなったら再訪したいものです。