白澤社ブログ

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雨宝陀羅尼経と海音如来―『牡丹灯籠』こぼれ話

先日刊行いたしました横山泰子・斎藤喬ほか著『〈江戸怪談を読む〉牡丹灯籠』には、三遊亭円朝『怪談牡丹燈籠』が抜粋収録されています。
円朝の落語のなかで、お露の亡霊におびえた萩原は新幡随院の和尚から借りた海音如来像を拝し「雨宝陀羅尼経」というお経を唱えて難を逃れようとします。
ところで、この雨宝陀羅尼経といい、海音如来といい、あまり聞きません。ふだんは円朝『怪談牡丹燈籠』のなかでしかお目にかからないものです。
そこからこの雨宝陀羅尼経と海音如来円朝の創作ではないのか?という疑惑も生まれます。
雨宝陀羅尼(うほうだらに)経はアホダラ経(でたらめなお経)をもじったもの、海音如来は『観音経』の「海潮音」という文句からつけたものではないか?とは、実は編集担当自身も思っていたことでした。
ところが、今回『〈江戸怪談を読む〉牡丹灯籠』の編集作業のなかで調べ直してみますと、雨宝陀羅尼経も海音如来も実在していました。
雨宝陀羅尼経は「大正大蔵経密教部に『仏説雨宝陀羅尼経』として収められている経典で、不空三蔵訳というから由緒正しい密教経典です。
早稲田大学図書館が版行された雨宝陀羅尼経の画像を公開しています。↓
仏説雨宝陀羅尼経 / 不空 訳

日本語訳も存在し、成田山仏教図書館に所蔵されているそうです。↓
国訳仏説雨宝陀羅尼経 - 成田山仏教図書館蔵書目録

この雨宝陀羅尼経に登場する海音如来は日本ではほとんど知られていませんが、台湾や東南アジア諸国では信仰されているようです。
雨宝陀羅尼経の内容も円朝が新幡随院の和尚に語らせている通りでした。

それから又こゝにある雨宝陀羅尼経というお経をやるから読誦しなさい、この経は宝を雨ふらすと云うお経で、これを読誦すれば宝が雨のように降るので、慾張ったようだが決してそうじゃない、これを信心すれば海の音という如来さまが降って来るというのじゃ、この経は妙月長者という人が、貧乏人に金を施して悪い病の流行る時に救ってやりたいと思ったが、宝がないから仏の力を以て金を貸してくれろと云った所が、釋迦がそれは誠に心懸けの尊い事じゃと云って貸したのが即ちこのお経じゃ、

ただ不思議なのは、新幡随院というお寺は浄土宗の名門寺院であるのに、密教経典の雨宝陀羅尼経を唱えるように萩原に勧めている点です。
これについては取材でうかがった現在の新幡随院のご住職も「当宗ではありえないのですが…」と、首をかしげておられました。
どうやら円朝は別のお寺からこのお経の話を聞いて落語のなかに織り込んだもののようです。

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