白澤社ブログ

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「ひとは孤独を逃れるために独居しさえする」三木清

11月17日付朝日新聞朝刊の人気コラム「折々のことば」で三木清の言葉が紹介されていました。

 

ひとは孤独を逃れるために独居しさえする

 

哲学者の鷲田清一さんが、次のように解説していました。

 

人は大勢の人の間にあっても、というかその中でこそ孤独であると、哲学者は言う。だから人は、逆説的にも孤独から逃れるために独居しもする。が、反対に、孤独を味わうために街に出もする。孤独は何かの欠乏ではなく、まぎらすよりもむしろ味わうべきもの。その意味で孤独は感情よりも知性に属し、その中ではじめて世界と確と向き合うことができる。『哲学と人生』から。(鷲田清一

 

「人は大勢の人の間にあっても、というかその中でこそ孤独であると、哲学者は言う」とは、三木清『人生論ノート』の「孤独について」の章の有名なくだり「孤独は山になく、街にある。一人の人間にあるのではなく、大勢の人間の「間」にあるのである」を念頭に置かれているのでしょう。「だから人は、逆説的にも孤独から逃れるために独居しもする」と続くのは、鷲田さんが冒頭に引かれた文を含む次の断章のこととなります。

 

孤独というのは独居のことではない。独居は孤独の一つの条件に過ぎず、しかもその外的な条件である。むしろひとは孤独を逃れるために独居しさえするのである。隠遁者というものはしばしばかような人である。(三木清『人生論ノート』「孤独について」より)

 

味わい深い一節です。
ところで、記事ではこの言葉の出典が「『哲学と人生』から。」とされていますが、この言葉の出典は『人生論ノート』です。

『哲学と人生』(講談社)にこの言葉が載ってるのは、『哲学と人生』という本が三木の高弟・桝田啓三郎氏が三木の没後に編んだアンソロジーで、その中に『人生論ノート』より「孤独について」の章が選ばれていたからなのです。
『哲学と人生』は、三木の代表的な論文やエッセイをおさめ、巻末には編者桝田氏による充実した解説と詳細な年譜もついたとてもよい本なのですが、残念ながら現在は新刊書としては流通しておりません。
講談社さんが学術文庫に入れてくださるとよいのに。
ちなみに、小社刊『三木清『人生論ノート』を読む』(岸見一郎著)では、このくだりは直接引用していませんが、167頁の岸見一郎さんによる解説がこの部分にあたります。

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