白澤社ブログ

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西日本新聞で『三木清遺稿「親鸞」』紹介

子安宣邦編著『三木清遺稿「親鸞」――死と伝統について』が、2017/10/24付 西日本新聞夕刊で紹介されました。
https://www.nishinippon.co.jp/nlp/book_new/article/361751/

 哲学者の三木清は、1945年3月に検挙され、終戦から40日後に獄死した。疎開先で見つかった三木の未完の遺稿「親鸞」を復刻し、日本思想史家の子安が解説を付けた。三木の名著「人生論ノート」に連なる「死」と「伝統」についての思索がつづられている。

西日本新聞さん、ありがとうございました。

本書の序「遺稿「親鸞」から三木清を読む」(子安宣邦)より少しご紹介します。

末法をめぐる仏説的解説はすべて遺稿に譲って、ここでは人間における死を譬喩として末法をいう三木の説き方をめぐって見てみたい。
「現在の意識は現在が末法であるという意識である。死を現在に自覚し、いかにこれに処すべきかという自覚が人生の全体を自覚する可能性を与えるごとく、現在は末法であるという自覚が歴史の全体を自覚する可能性を与えるのである。」死は決して継続する生の中間点ではない。それは生の絶対的な終わりであり、終極点である。だが病気とは病みながらも生が継続される中間点を意味している。三木は末法を死の譬喩をもっていうのである。死を譬喩とする末法とは、したがって病める時代をいうのではない。絶対的な終わりの時代をいうのである。だから三木は、「末法思想は死の思想のごときものである。それは歴史に関する死の思想である」というのである。(本書、p17-p18)

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