白澤社ブログ

人文社会系の書籍を刊行する小さな出版社です。

「希望」という言葉について

「希望」という言葉が世間を騒がせているようです。
三木清は『人生論ノート』に収められたエッセイ「希望について」で次のように指摘しています。

自分の希望はFという女と結婚することである。自分の希望はVという町に住むことである。自分の希望はPという地位を得ることである。等々。ひとはこのように語っている。しかし何故にそれが希望であるのか。それは欲望というものでないのか。目的というものでないのか。或いは期待というものでないのか。希望は欲望とも、目的とも、期待とも同じではないであろう。

新聞などを見るかぎり、いま「希望」という言葉に群がって騒いでいる人たちの本音は「自分の希望は国会議員という地位を得ることである」ということのようですが…、三木の言葉を繰り返しましょう。
「それは欲望というものでないのか。目的というものでないのか。或いは期待というものでないのか。希望は欲望とも、目的とも、期待とも同じではないであろう。」

西日本新聞で『希望について』紹介


ところで、三木清のエッセイ「希望について」を中心にした岸見一郎著『希望について――続・三木清「人生論ノート」を読む』が、2017/09/27付 西日本新聞夕刊で紹介されました。
https://www.nishinippon.co.jp/nlp/book_new/article/361751/

 1941年に刊行され、戦後も長く読み継がれてきた昭和のベストセラー、三木清の「人生論ノート」。危機の時代を生きた哲学者が、希望をキーワードに、懐疑、習慣、利己主義などについて考察した人生論は、現代を生きる私たちの励ましになる。

西日本新聞さん、ありがとうございました。