「希望」という言葉が世間を騒がせているようです。
三木清は『人生論ノート』に収められたエッセイ「希望について」で次のように指摘しています。
自分の希望はFという女と結婚することである。自分の希望はVという町に住むことである。自分の希望はPという地位を得ることである。等々。ひとはこのように語っている。しかし何故にそれが希望であるのか。それは欲望というものでないのか。目的というものでないのか。或いは期待というものでないのか。希望は欲望とも、目的とも、期待とも同じではないであろう。
新聞などを見るかぎり、いま「希望」という言葉に群がって騒いでいる人たちの本音は「自分の希望は国会議員という地位を得ることである」ということのようですが…、三木の言葉を繰り返しましょう。
「それは欲望というものでないのか。目的というものでないのか。或いは期待というものでないのか。希望は欲望とも、目的とも、期待とも同じではないであろう。」