白澤社ブログ

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ひとの幸福に嫉妬をおぼえたことはありますか?――『人生論ノート』の言葉から1

幸せそうにしている人たちを見ると、なんだか「ムッ」とする、というようなことはありませんか。
かく言う私など小心者の凡人ですから、いけないと思いながらも「人の不幸は蜜の味」の方に軍配を上げてしまいそうで、内心おたおたしてしまいます。

他人の幸福を嫉妬する者は、幸福を成功と同じに見ている場合が多い。

これは、三木清『人生論ノート』の「幸福について」に書かれている文章です。
三木さんは、成功と幸福は別ものなのに、同じように考えているから、「今どきの人間」は幸せというものが何かわからなくなったのだと言います。
そして、成功を嫉妬しているのに、幸福を嫉妬するのだと言います。
三木さんのいう「今どき」とは戦中のことですが、今でも通用する話です。
三木清「人生論ノート」を読む』の著者・岸見一郎さんは、皆さんよくご存知のアドラー心理学の第一人者ですが、上の三木の言葉を受けて、次のように言っています(「2 幸福と成功」『三木清『人生論ノート』を読む』より)。

幸福とは、何かを達成したから、あるいは何かを達成する過程にあるのではなくて、人が人として存在することがそのまま幸福なのです。現代の成功論とは本来の幸福論とはずいぶん違うのです。

さて、成功が幸福と比較されてすっかり分が悪いのですが、三木さんは、成功をいちがいに悪いと言っているのではありません。

成功も人生に本質的な冒険に属する。

こう捉えるのであれば成功も捨てたものではないと言います。
う〜む。成功は冒険であり、人生は冒険なのであります。
では幸福とは何か。この話はまだ続きます。

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【岸見一郎『三木清『人生論ノート』を読む』の目次から】
2 幸福と成功──「幸福について」「成功について」を読む
近ごろ幸福について論じられていない
今日の良心とは幸福の要求である
人間の行動の動機は善である
成功と幸福とは同じものではない
幸福は各人においてオリジナルなものである
一種のスポーツとして成功を追求する者は健全である
成功主義者は容易にコントロールされる
幸福を単に感性的なものと考えることは間違っている
幸福そのものが徳である
幸福は力である
幸福は人格である

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