白澤社ブログ

人文社会系の書籍を刊行する小さな出版社です。

なぜ『人生論ノート』を取り上げたのか

新刊・岸見一郎著『三木清『人生論ノート』を読む』の編集こぼれ話です。

今回の話題は、なぜ『人生論ノート』を取り上げたのか。
プラトンの翻訳をお願いした岸見一郎さんと、次は三木清をとりあげましょうという相談がまとまり、うちあわせのために京都に出かけました。
あたたかく迎えてくださった岸見さんから「こういう本がありますよ」と差し出されたのが、木田元『新人生論ノート』(集英社新書)。
版元・集英社さんの紹介ページはこちら↓
http://shinsho.shueisha.co.jp/kikan/0280-c/
一昨年亡くなった木田元氏(一九二八〜二〇一四)は長く中央大学教授をつとめた哲学者で、メルロ=ポンティハイデガーの研究で有名な方です。
三木清は留学中(1922-1925)にハイデガーに師事しているので、その三木の『人生論ノート』にならった『新人生論ノート』をという企画は木田元氏にうってつけのテーマかと思われるのですが、木田氏は「三木清と張り合うほどの度胸はない」といったんは編集者の提案を保留にします。
木田氏は三木清『人生論ノート』の「死について」の章の初めの方を引用して「信じられないくらいの老成ぶりに思われる」と書いています。

いや、老成しているということに驚かされただけではない。いわゆる警句集のかたちをとったものが多いのだが、みごとなレトリークで綴られた一々の警句が確信に満ちていて、この歳でよくここまで断定的な物言いができるものだと、これにも感心させられた。(木田、前掲書8頁)

さらに木田氏は「『人生論ノート』は大読書家でもあった三木のものらしく、適度に衒学的でもあり、これもまた魅力になっている」として、三木から「健康について」の一節を引用してこう言います。

どう考えてみても、私にはこんな衒学癖はないし、それだけの学殖もない。こんな自信にあふれた断定的な文章も書けそうにない。(木田、前掲書9頁)

木田氏は三木の世代の教養主義に反発したとも書いていますから、おそらく「感心させられた」とか「魅力になっている」というのは皮肉をまじえた物言いなのでしょう。
もっとも『新人生論ノート』一冊を読むだけでも木田氏の博学ぶりはあきらかですから、木田氏自身のこうした物言いも、氏一流のレトリックであるのかもしれません。
ともあれ、ドイツ・フランスを中心としたヨーロッパの現代思想に広く通じた碩学木田元氏をして辟易とさせるほどの知識とレトリックが三木清『人生論ノート』に詰まっているのだとしたら……。
「これは取り組んでみる価値がありそうだぞ」という悪魔のささやきが担当者の耳もとで聴こえたのですが、この続きはまた。