白澤社ブログ

人文社会系の書籍を刊行する小さな出版社です。

図書新聞で『アドルノの社会理論』紹介

小社刊、表弘一郎著『アドルノの社会理論』を図書新聞さんでご紹介いただいておりました。
年末恒例の「2013年下半期読書アンケート【3139号(12月21日発売号掲載)】」です。
今頃気づくなんてたいへんうっかりしておりました。
該当箇所を下記のサイトから引用します。
http://www1.e-hon.ne.jp/content/toshoshimbun_2013_syohyou_sh.html

◆古賀 徹(哲学)
交換をめぐる三冊。近代初期においては市民たちの理想的コミュニケーションとしての自由な社交が、近代後期にあってはその「自由」に潜む強制的性格が自覚されて社会の姿で現れる。
表弘一郎『アドルノの社会理論‐‐循環と偶然性』(発行‥白澤社/発売‥現代書館)は、一見すると等価で自由な交換が「社会」によって強制されていること、したがって交換の同一性は本質的に偶然的であり、「それらが別様でありえた可能性」、つまり非同一的なものを指し示すという。
ジャン=リュック・ナンシー『フクシマの後で――破局・技術・民主主義』(渡名喜庸哲訳、以文社)は、個別的な交換を通じて実現される一般的な等価性の原理が自然支配の根底にあると主張し、それがあまねく地表を覆う極点で破局を迎えた恐慌的事象として福島原発事故を捉える。
最後に熊野純彦マルクス 資本論の思考』(せりか書房)は、そうした現代的な考察のいわば源流としてのマルクスを精緻に再読する。著者は「あとがき」で、資本論の訳者である岡崎次郎が晩年自宅を引き払い旅に出て行方知れずになったエピソードとともに、かつての友人たちが見えなくなった孤立感を表明する。その孤立感は、孤高とでも言うべき資本論に対する著者の読み方、言葉の交換を媒介する「学問」という社会のあり方、それ自体の帰結を示しているように「古い友人」には思えてならない。

なんと、ナンシー『フクシマの後で』、熊野純彦マルクス 資本論の思考』と並べてのリストアップではありませんか!
評者の古賀徹さんは、フランクフルト学派現象学に詳しい哲学者、『超越論的虚構-社会理論と現象学』(情況出版)という難しいご本を出した方ですね。アドルノフッサール論『認識論のメタクリティーク』(法政大学出版局)の共訳者でもあります。アドルノについてのご論文もいくつも書かれています。
このように『アドルノの社会理論』にとって、これ以上はないと言えそうなくらいうってつけの評者に、昨年下半期の三冊の一つとしてリストアップしていただいていたのでした。
今日までこれに気付かなかったなんて、ちょっとうっかりしすぎですね。深く反省します。
ちなみに古賀徹さんは最近では『理性の暴力―日本社会の病理学』(青灯社)という本を出されています。
版元・青灯社さんの紹介ページはこちら↓
http://www.seitosha-p.com/2014/01/post_130.html#more
目次を拝見すると、現代の社会問題に切り込んでおられるご様子。もちろん、目次だけでなく中身も拝読して学びたいと思います。