白澤社ブログ

人文社会系の書籍を刊行する小さな出版社です。

小玉重夫『難民と市民の間で』現代書館

昨年末からハンナ・アレントの伝記映画が評判になっていますが、小社のロングセラー(当社比)『シティズンシップの教育思想』の著者、小玉重夫さんが昨秋出版したアレント論『難民と市民の間で』を読みましたのでご紹介したいと思います。
版元・現代書館さんによる紹介ページより↓
http://www.gendaishokan.co.jp/goods/ISBN978-4-7684-1002-8.htm

いま読む!名著 難民と市民の間で――ハンナ・アレント『人間の条件』を読み直す
小玉重夫 著
10月16日発売!
判型 四六判 上製 216ページ
定価 2200円+税 ISBN978-4-7684-1002-8

全体主義を批判した『全体主義の起原』、「公共性」の重要性を強く打ち出した『人間の条件』。両著の哲学と政治の関係を再構築し、「難民性」と「市民性」の両方を一人の人間が抱え込む新しい時代の「公共的」な社会で生きる条件を提示。

著者の小玉重夫さんは『学力幻想』(ちくま新書)などで知られる教育学者ですが、アレント研究者でもあります。
小社が小玉さんと知り合ったのも、2000年にリサ・デイッシュさんを招いて慶應大学で開かれたアレント研究シンポジウムの打ち上げの席上だったかと思います。
さて、『難民と市民の間で』は、いかにも小玉さんらしい一冊で、アレントの思想を論じているかと思えば現代日本の教育事情を分析し、そこからアレントの生きた時代の歴史に目を転じたかと思えば現代思想の論点を批評するといった具合に、読者の意表を突く仕掛けに満ちた議論が展開されます。
ですから本書は、シリーズ名「いま読む!名著」や副題の「ハンナ・アレント『人間の条件』を読み直す」から受ける印象をよい意味で裏切るところがあります。『人間の条件』の解説書でもアレントの評伝でもなく、アレントを読みながら現代の政治と教育と思想とのせめぎあいの中で思考する小玉さん自身の遊撃戦のルポルタージュ、そうした意味では独立した思想書に仕上がっていると言えましょう。
それにしても、さすがだなと思うのは、叙述の明晰さです。
例えば第2章「退きこもりの政治性」では、『全体主義の起源』刊行後にアレントが取り組んだ、後に『人間の条件』のマルクス主義批判に結実するマルクス研究のことから語りだしながら、原武史『滝山コミューン一九七四』で描かれた戦後日本教育の一断面の問題性に触れ、あわせてアレントと同時代の政治哲学者レオ・シュトラウスを引き合いに米ソ冷戦構造の思想的位相への反響を素描するや、あれよあれよと思うまに西欧政治思想におけるプラトニズムの問題性へと導かれ、ついでアレントソクラテスに見たものが「社会からの退きこもり、自由時間と余暇を使って思索すること」だったことを確認させられたとたん、ネグリランシエールアガンベンらとともに「退きこもり」の思想的意義についての議論の中に投げ込まれる。
これは第2章だけでなく全編この調子なのですが、読者としてはあたかもジェットコースターかお化け屋敷か、いずれにせよ思い切り振り回されるわけです。
こうしたスタイルはえてして議論が錯綜して空中分解しかねないのですが、小玉さんの叙述は理路整然としていて、わけがわからないというところがない。だから読者としては、アレントが『全体主義の起源』刊行後にマルクス研究に取り組んだことから、メルヴィルバートルビー』をめぐるネグリアガンベンの解釈の差異までが、あたかもあらかじめ一貫した筋道にあったような気にさせられながら読んでしまう。これは実際に読んでご覧になれば、なるほどと思われるでしょう。
小社として興味深く読んだのは第4章「社会的なるもの」でした。実はこの章では小玉流ジェットコースターは比較的安全運転で運行していて、第1節「「社会的なるものの勃興」と公的領域の消失」ではアレント『人間の条件』に即して「社会的なるもの」という概念を明らかにし、第2節「「社会的なるもの」と近代教育」ではフーコーアガンベンの生政治・生権力論と「社会的なるもの」の重なりが指摘され、第3節「ハンナ・アレントの近代教育批判」では『人間の条件』と同時期に書かれた論文・エッセイ集『過去と未来の間で』所収の論文「教育の危機」をていねいに読み解きながら、福祉としての教育や児童中心主義に子どもを公的世界から疎外する負の側面があると論じます。
ここまでは小玉さんにしてはおとなしい議論だなと油断していたら、第4節でやられました。
題して「難民化する子どもと「政治的人間」の再興」。
タイトルも強烈ですが、内容もすごい。書き出しからしてこうです。

前節までで見てきた社会的なるものの勃興と公共性の衰退というアレントの近代認識が、アレントが論じなかった現代においてどのように変容しているのかを、本章の最後に検討したい。

アレントが論じなかった現代において」…、はいハッキリ言っていますね「この本は解説書じゃないよ」って。
この4節は短いなかにフーコーアガンベンからベーシック・インカムまでが詰め込まれているので要約できませんが、現代の学校は難民収容所だというセンセーショナルな認識から、本書のタイトル『難民と市民の間で』に響きあう新しい公共のイメージが示される点で本書のクライマックスと言っていいでしょう。
しかもそれをベーシック・インカムという未だ実現されていない社会構想とセットで示すところに小玉さんの論争好きな性格が垣間見えて面白いなと思いました。
教育と政治をめぐるバトルロワイヤルに読者を引っ張り込む面白い本です。ぜひご一読を。