白澤社ブログ

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[書評・紹介記事など]朝日新聞読書面に『翻訳がつくる日本語』

本日10月13日付朝日新聞の読書面に、中村桃子著『翻訳がつくる日本語』の書評が掲載されました。
評者は『まほろ駅前多田便利軒』(文藝春秋)などのヒット作で知られる、作家の三浦しをんさん。
三浦しをんさんのブログはこちら↓
http://blog.goo.ne.jp/below923
出版社の辞書編集部を舞台にした小説『舟を編む』(光文社)が映画化された時には、「あんな美男子ぞろいの版元はどこ?」と同業者の間で話題になりました(主演に松田龍平さん、上司役に小林薫さん、同僚役にオダギリジョーさんという配役でしたから)。
記事から一部をご紹介します。
三浦さんは「現代日本で暮らしていて、「私は賛成ですわ」「俺はかまわないぜ」といった言葉づかいをするひとに、私は遭遇したことがない」と言います。
そうなんですよね。
例外は、タレントさんが女性らしさ・男性らしさを意図的に強調する場合くらいでしょうか。マツコデラックスさんとか。
まれに日常会話で使われる場合も、やはり女性らしさ・男性らしさを演じる言葉として用いられているように思います。

 しかし、日本語に翻訳された外国人の発言(あるいはセリフ)で、過剰な「女ことば」や「気さくな男ことば」、どこの方言だか不明な「ごぜえますだ」といった言葉が使われていても、なんとなく受け入れている。

『翻訳がつくる日本語』の装丁に使ったイラストは、映画『エイリアン』でシガニー・ウィーバー演じるタフなヒロインがモンスターを相手に闘っている場面を描いたものなのですが、彼女のセリフは戦闘中にもかかわらず字幕では女ことば。不自然なはずなのに受けいれられている、これはいったいどういうこと?というのが本書の問いでした。
三浦さんは「『日本語および日本語を使っている人々に、翻訳が与えた影響』という観点が非常に興味深い」と、本書全体の着眼点を的確に指摘してくださったうえで、「翻訳表現と日本語は相互に影響しあっている」ことについて、自らの体験から「おおいに思い当たる」としています。

小説を書く際、女性の登場人物のセリフの語尾に、無意識のうちに「わよ」などの「女ことば」を使用してしまい、慌てて修正することがあるのだ。

なるほど、たしかに書き言葉ではありがちかもしれません。
とくに複数の人物のセリフがある場合、「『女ことば』を使うと、『話者の性別』を簡単に明確化できるという利点」があるからですが、「現実を鑑みると『リアル』な表現とは言えない」わよね。
それでも、リアルではない表現を使ってしまうのはなぜなのかしら?
この問いの先にある本書のテーマを、三浦さんはピタリと押さえてくれました。

日本語は日本語のみで完結し成立するものではなく、外国語、そして外国語を『翻訳する』工夫と営みの影響下にあるのだと気づかされる。

さすが、言葉への執念をいだく辞書編集者を主人公にした『舟を編む』の著者だけに、言葉について考える本書の面白さのポイントを上手くくみとってくださいました。
ありがとうございました。
三浦さんの書評の全文は、朝日新聞デジタルでも読めます。アドレスはこちら↓
http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013101300010.html