白澤社ブログ

人文社会系の書籍を刊行する小さな出版社です。

松森俊尚『餓鬼者』(生活書院)

松森俊尚著『餓鬼者 共に学び、共に生きる子どもたち』(生活書院)を読みました。
詳細は版元の生活書院さんの紹介ページをご覧ください。↓
http://www.seikatsushoin.com/bk/089%20gakimon.html
とても面白い本だったのでご紹介したいと思います。
ベテラン小学校教師の実践記録です。毎年春には教育書が大量に刊行されますが、今春最大の収穫と言っていいのではないでしょうか。
生活書院さん、いい仕事をしてますねえ。
題名の『餓鬼者』は「がきもん」と読むのです。児童・生徒を「餓鬼」と呼ぶとはけしからん、と眉をひそめる人もいるかもしれませんが、子どもを蔑んでそう呼んでいるわけではないのです。本書巻頭に掲げられた次の一文を読めば「餓鬼」という言葉に込められた著者の思いがよくわかります。

日本の民衆史は、ときにニガニガしさを込め、ときにこよなく愛情を注ぎながら、子どもを「餓鬼」と呼びならわしてきた。わがもの顔に走り回るしたたかな姿が思い浮かぶ。
今、学校から「餓鬼」が消されようとしている。「餓鬼」と呼ぶ風土も喪われようとしている。子どもたちと共に、飢え、渇き、求め続ける餓鬼道に、スクラム組んで居すわり続けたいと願わずにおれない。

教師の仕事とは何か。ホンネのところを知りたいと思ったら、現役教師に聞くのがいちばん。国の教育政策や教育系諸学会の動向とは必ずしも無縁ではないとはいえ、相対的に自立した教育現場の、日々の教育の営みを語ることが出来るのは現場の先生方をおいて他にありません。
ところが困ったことに、現職教員というのは恐ろしいほど多忙です。ちょっとお話しをうかがいたいと思っても、希少な休憩時間を犠牲にしていただかざるを得ないのは気がひけます。その上、意外に思われるかもしれませんが、先生方の多くは驚くほど謙虚で、自分の教育活動を語ることについて控え目です。私の授業実践(教材開発、生徒指導etc)なんてささやかなもので、もっと立派な先生が他にいらっしゃいますから、と遠慮がちにしか話さない。
そして、これはいささか言いにくいことですが、先生方の文章は必ずしもわかりやすいとは言えません。授業で子どもたちに説明することには長けていても、学校外の一般人を読者に想定して文章を書くことがほとんどないからでしょう。特に校務分掌などについては校内でしか通じないギョーカイ用語もあります。さらに、教育実践記録の書き方が形式化・パターン化されているため、一般読者には教室の空気がつかめないということもあります。
そういうわけで、日本の教育事情を知るためにまず読まれるべき現職教員による教育活動の記録が、なかなか出版されず、まれに出版されてもあまり読まれず、せっかく読んでもよくわからない、というのが現状です。こうした閉塞状況をドーンと打ち破って出されたのが本書『餓鬼者』。
本書を手にとったら、いきなり本文を読んでみてください。五つの章に分かれていますが、どの章から読んでもさしつかえありません。教育学や学校制度について通じていないとわからないような文章はどこにもありません。どの章も読み始めればいきなり松森学級に招き入れられます。そこは子どもたちと、その子どもたちと共に学び、共に生きることを決意した「餓鬼者」すなわち松森センセとが活動する世界です。お涙頂戴の美談や、流行の教育論にあわせて切り取った記事ではなく、にぎやかで雑然としていて、どこか不揃いなところもある現実の教室の記録です。
第1章「子どもの物語」では、障害児、複雑な家庭の子、登校拒否児、生物観察に夢中になる子、教師に対等の殴り合いを挑む子の五人の個性的な子どもの物語が描かれます。以下、2章で学力論、3章で授業論、4章で生徒指導、5章で総合的学習がテーマとなりますが、いずれも「子どもの物語」のスタイルで描かれています。どれもお行儀のいい話ばかりではなく、ときには悩み失敗もしながら、子どもの置かれた状況と格闘する教師の物語でもあります。
子どもたちを見る暖かい眼差しのあいだからさりげなく示される、教育について、また人間についての著者の鋭い省察に「餓鬼者」の底力を感じます。テレビドラマや小説ではうかがい知ることのできない学校現場の手触りを得ることのできる貴重な一冊です。