白澤社ブログ

人文社会系の書籍を刊行する小さな出版社です。

高橋哲哉『犠牲のシステム 福島・沖縄』

小社でも『反・哲学入門』、『殉教と殉国と信仰と』などでお世話になっている高橋哲哉さんからご新著をご恵贈いただきました。ありがとうございました。
発行元の集英社さんによる紹介ページはこちら↓
http://shinsho.shueisha.co.jp/kikan/0625-c/
「はじめに」の文章が試し読みできるようになっています。
さて、同書については、すでに新聞などで書評や著者インタビューが出ていますので、ここでわざわざ内容をご紹介することもないと思いますが、拝読して気のついたことを一つだけ。

晩春の柔らかな陽の光が射して、太平洋がキラキラと光って美しい日であった。だが、港は3・11の津波で瓦礫の山、それに加えて第一原発からの放射能汚染水の大量放出で漁業も壊滅という惨状がそこにはあった。

これが震災後ふるさとの福島県を訪れた著者の見た光景でした。なぜこんなことになってしまったのか。
靖国問題』(ちくま新書)や『国家と犠牲』(NHKブックス)では、戦死などの国家による犠牲を正当化する論理,戦死者の死を尊い犠牲として美化するレトリックが分析されていました。ところが今回の新書では「犠牲のシステム」が問題化されています。
著者自身によって定式化された犠牲のシステムとは次のようなものです。

或る者(たち)の利益が、他のもの(たち)の生活(生命、健康、日常、財産、尊厳、希望等々)を犠牲にして生み出され、維持される。犠牲にする者の利益は、犠牲にされるものの犠牲なしには生み出されないし、維持されない。この犠牲は、通常、隠されているか、共同体(国家、国民、社会、企業等々)にとっての『尊い犠牲』として美化され、正当化されている。

論理やレトリックが言説のレベルでの問題であるのに対して、システムとはこの場合、社会のしくみや制度のことを指すわけですから、あえて図式的に言えば、著者は本書でイデオロギー批判を越えて、より大きな枠組の制度批判に一歩踏み込んだように見えます。
実は、先日、高橋さんご本人にお会いする機会がありまして、その折りに「『犠牲のシステム』という表現は今回が初めてじゃありませんか」とお尋ねしたら、「そういえばそうですね」と肯いていらっしゃいました。
それはさておき、高橋哲哉さんといえば、小社には因縁話がございます。
実は、いささか自慢話めいて恐縮なんですが、小社刊行物は新聞や雑誌などで紹介される確率がかなり高いのです。とくに単著(一人の著者が書き下ろした単行本)については、書評掲載率がほぼ百パーセントに近い状態(当社比)にあります。
ところが「書評掲載率がほぼ百パーセントに近い」というのはもちろん例外があったからで、小社刊行の高橋さんの単著『反・哲学入門』(2004)だけは、小社が確認した限りでは、どういうわけだか新聞・雑誌などの印刷媒体で紹介された形跡がないのです(引用や参照は除きます)。
ちなみに『殉教と殉国と信仰と』は西日本新聞の書評欄などで取り上げていただきましたが、こちらは菱木政晴・森一弘両師との共著です。
これは高橋さんの数あるご著書のなかでも希有の例ではないでしょうか。
小社にとっても七不思議の一つです(いえ、七つもありませんが)。
ともかく、小社ではその後もいろいろな本を出してまいりましたが、いまだに高哲越え(紹介記事ゼロ)をなしとげた本はありません。今後もそうあってほしいものです。