白澤社ブログ

人文社会系の書籍を刊行する小さな出版社です。

『シモーヌ・ヴェイユ 詩をもつこと』

ご紹介が遅れましたが、昨年末に刊行された『現代詩手帖特集版 シモーヌ・ヴェイユ 詩をもつこと』(思潮社)を編者の今村純子さんからご恵贈いただきました。まことにありがとうございました。
発行元の思潮社さんによる紹介ページはこちら↓
http://www.shichosha.co.jp/newrelease/item_628.html

[インタビュー]辻井喬「詩と哲学を結ぶために」
[対話]今福龍太+港千尋戦間期――シモーヌ・ヴェイユ、愛、恩寵」
[シンポジウム]最首悟川本隆史生田武志+今村純子「シモーヌ・ヴェイユと〈いま、ここ〉」
[特別掲載]河野信子十川治江「電子とマリア」
[論考]生田武志、今村純子、奥村大介、河津聖恵、栗田隆子鳥居万由実、吉田文憲
[翻訳]シモーヌ・ヴェイユ詩選/『初期哲学論文集』(抄)
[資料]主要著作解題/年譜/主要文献一覧

労働者に必要なものは、パンでもバターでもなく美であり、詩である――一九〇九年に生まれ、戦間期の混乱を純粋性を結晶させて生き抜いた哲学者シモーヌ・ヴェイユ、その思想の核心を現在において生きなおすにはどうしたらいいのか。ヴェイユの言葉を血肉化し、それぞれの現場において開花させている執筆者たちによる実践的入門書。責任編集=今村純子

定価1,890円(税込)
A5判並製・216頁
ISBN978-4-7837-1868-0
2011年12月刊

一読した印象を、最近のベストセラーに引っかけて軽率に申し上げるなら「困っている人」ならぬ「困らせる人」としてのヴェイユをどう受けとめるか、という問題提起があるように思いました。
今村さんもシンポジウム「シモーヌ・ヴェイユと〈いま、ここ〉」で「あまり人の役に立っていない」と指摘していましたし、論文「構造主義シモーヌ・ヴェイユ」で紹介されたレヴィ=ストロースの回想でも「彼女の剃刀の刃のような考え方にはついていけませんでした」とあります。さらには、今福龍太氏と港千尋氏の対談「戦間期――シモーヌ・ヴェイユ、愛、恩寵」によればソンダクも「ついていけない」と言ったそうですし、おまけに港氏はかの『工場日記』からヴェイユの不器用さを指摘して「ぼくが工場長だったらこんなひとは絶対に雇わない」…。
ほかにも、確か、戦地に志願して困ったちゃんぶりを発揮したエピソードもあったかと思います。
この、ダメ女ヴェイユとどうつきあうか、困ったひとだなあとぼやきながらも目が離せない、寄稿者のみなさんにはそういう思いがあるのではないかと感じました。
そんなことを考えていたら、今村さんがツイッターで次のようにつぶやいているのを発見。

晩年のヴェイユはホントに光だけで生きれると思っていた気がする。「ばかだよなあ、あいつはほんとにばかだ」(『寅さん』のおいちゃん風に)。

我が意を得たりとばかりに、思わず「「寅さん」いいですね。フーテンのシモーヌ?」とコメントしたら、

@Hakutakusha 「ばかだね」というのは文脈によっては最高の愛情表現になりますね。シモーヌがバカでなかったらみんなからこれほど愛されないでしょうね。

とお返事いただきました。
おそるべきドジっ子・ヴェイユ、愛されているんですね。