白澤社ブログ

人文社会系の書籍を刊行する小さな出版社です。

今村純子『シモーヌ・ヴェイユの詩学』

今村純子著『シモーヌ・ヴェイユ詩学』(慶應義塾大学出版会)を読みました。
シモーヌ・ヴェイユといえば、フランスのエリート養成機関である高等師範学校を卒業して教師になりながら、自ら工場労働者として働いた経験をつづった『工場日記』が有名です。そのヴェイユが「労働者に必要なのは、パンでもバターでもなく、詩であり、美である」と言っていたことに著者は注目しています。
「労働者に必要なのは、パンでもバターでもなく、詩であり、美である。」
これには、えっ?と驚く人も多いのではないでしょうか。実は私も驚きました。それって「パンがなければケーキを食べればいいのに」(フランス革命時にマリー・アントワネット王妃が言ったと誤って伝えられた言葉)とどう違うの? それが工場労働の辛さを身をもって体験した人の言う言葉か、と首を傾げたものです。なぜ彼女はこんなことを言ったのか? この謎に迫ったのが本書です。
第二次世界大戦のさなか、亡命先のロンドンで没したヴェイユは、わずか三十数年の短い生涯を激しく生き抜き、出会った人々に鮮烈な印象を残しました。高等師範学校の同窓生に、もう一人のシモーヌ、『第二の性』のボーヴォワールがいたことはよく知られていますが、本書の序章では戦後、構造主義人類学者として活躍したレヴィ=ストロースの名が挙げられています。「『あってはならないこと』が、『当たり前のこと』として世界を支配していた時代」にあって、二人の視線は「『見える世界』の背後にある『見えない世界』」に向けられていた点で「共通の眼差しが伺える」と今村さんは言います。
でも、レヴィ=ストロースは、ヴェイユのことがちょっと苦手だったみたいですね。シモーヌの兄アンドレ(数学者)の協力を得て文化の深層構造を分析した人類学者は「彼女の剃刀の刃のような考え方にはついていけませんでした」、「その厳しい考え方を、自己破壊に至るまで貫徹した人でした」(レヴィ=ストロース『遠近の回想』より)と懐古しています。
ヴェイユが見たものは何だったのか。謎めいた思想家の核心にある「詩」に複数の角度から照明をあててその魅力を多面的に描いた作品。今村さんのヴェイユへの愛が感じられます。ただし、入門書ではないので、伝記や著作を知らないとよくわからないところもありました。
本書のもう一つの特徴は、ヴェイユの思想を分析する論文のあいまに、映画を題材にした5本のエッセイが挿入されていることです。それぞれ、「千と千尋の神隠し」、「女と男のいる舗道」、「ライフ・イズ・ビューティフル」、「アメリ」、「ガイサンシー(蓋山西)とその姉妹たち」がとりあげられています。
実は、これが面白い。これらの映画とヴェイユの芸術哲学との関連は一応指摘されていますが、ヴェイユ詩学の応用というより、今村さんご自身の詩学の試みなのではないでしょうか。こちらの方面でもさらなるご活躍を期待しています。