白澤社ブログ

人文社会系の書籍を刊行する小さな出版社です。

「東方宗教」誌で『復元 白沢図』紹介

日本道教学会の機関紙「東方宗教」第130号で、佐々木聡著『復元 白沢図――古代中国の妖怪と辟邪文化』が紹介されました。
書評してくださったのは、坂出祥伸先生。坂出先生は『道教とはなにか』(ちくま学芸文庫)、『日本と道教文化』(角川書店)などの著作で広く知られる道教研究の大家です。
書評は、腰帯の宣伝文を取り上げて書き出されています(原文は旧漢字なのですが、以下引用にあたり便宜上現行のものに置き換えます)。

本書の内容は、腰帯の賛辞を借りれば、「禍を避け福を招く神獣白沢、その源流は古代中国の辟邪呪術を伝える幻の書物だった。散佚した奇書を復元し、文化史的意義を読み解く」とあるのか簡単ながら意を尽くしている。

「簡単ながら意を尽くしている」!
専門家に帯文句をほめていただけて、率直にうれしいです。
その後でこんなことも書いていらっしゃいます。

佐々木氏の本書が出版されたのは奇しくも、その名が白澤社である。そこで出版社に直接問い合わせたら、出版社側から白沢の研究者を探し求めて佐々木氏に行き当たって本書の出版を依頼したのだそうである。

そうなんです。
ある日、何気なくとった一本の電話が坂出先生からのお問い合わせでした。
「白沢図の本を出した出版社が白澤社というのは、なんとも面白くて電話しました。どういう経緯でこの本を出すことになったのか、さしつかえなければ聞かせてください」とのお尋ねでした。
こんな経験は初めてだったので、たいへん驚いたのを昨日のことのようにおぼえております。
さて、坂出先生は本書の内容をていねいに紹介してくださったあと、次のように締めくくっています。

本書はまったく白沢あるいは白沢図の全貌を委細にわたって叙述していて、中国の辟邪文化はもちろんのこと、中国文学、道教を含む中国思想、さらには中国の民俗学に関心を寄せる人々にぜひとも読んでいただきたい好著である。


「ぜひとも読んでいただきたい好著」!
坂出先生、ありがとうございました。
なお、佐々木聡著『復元 白沢図』はご好評のため品薄状態が続いておりますが、近日中に重版すべく、ただいま作業を進めております。

「出版ニュース」で『三木清遺稿「親鸞」』紹介

出版ニュース」12月上旬号で、子安宣邦編著『三木清遺稿「親鸞」――死と伝統について』が紹介されました。
記事では、編著者・子安宣邦先生の序「遺稿「親鸞」から三木清を読む」より「三木は宗教的人間である己れ自身を内に抑えて生きざるをえなかった。彼が宗教的人間であることをもう一度、そして最終的に証明すべき「親鸞」論を、三木は遺稿として遺さざるをえなかった」という文章を引いたうえで、次のように評してくださいました。

哲学者・三木清終戦直後、獄中で亡くなり未完の遺稿『親鸞』が残された。本書は『親鸞』の解読を通して三木清が込めた「死と伝統」を考察する。著者は、親鸞末法論をめぐる三木の独自の読み方に感銘を受け、「三木自身のための」親鸞論を末法時の歴史的自覚の問題として捉える。さらに『人生論ノート』から死と孤独を『手記』から宗教観を導き出し、現代において三木清を読み直す意義を提示する。


出版ニュースさん、ありがとうございました。
子安宣邦編著『三木清遺稿「親鸞」――死と伝統について』は全国の主要書店で好評発売中です。

『復元 白沢図』に文春砲炸裂?

ついに我が社にも文春砲炸裂か?と小さな社内が震撼いたしました。
なんと、かの「週刊文春」誌で、小社刊『復元 白沢図――古代中国の妖怪と辟邪文化』(佐々木聡著)が紹介されていたというのです。
著者の佐々木聡さんから教えていただきました。半年以上も前のことだったそうです。
いやあ、まったく気づいていませんでした。
記事が出たのは「週刊文春」四月十三日号で、同誌の書評欄「文春図書館」の中の立花隆氏執筆「私の読書日記」でした。
遅ればせながら、一部を抜粋し、ご紹介いたします。

×月×日
『復元 白沢図 古代中国の妖怪と辟邪文化』(佐々木聡 白澤社 2000円+税)は興味深い本だ。白沢とは人語を解する神獣で、万物の精(もののけ)に通暁しており、それをどう退散させるのかの辟邪(追い払うまじない)の方法論にも通じていた。中国の伝説上の帝王黄帝が国内を巡狩しているときにこの神獣と出会い、その方法を教えてくれたので、次に黄帝が代ってその方法を全土に伝え、中国全土からあらゆるもののけを追い払った。もののけの数は一万一千種もあり、追い払うには、その名を呼ぶ必要があった。(後略)


立花隆さん、ありがとうございました。

西日本新聞で『三木清遺稿「親鸞」』紹介

子安宣邦編著『三木清遺稿「親鸞」――死と伝統について』が、2017/10/24付 西日本新聞夕刊で紹介されました。
https://www.nishinippon.co.jp/nlp/book_new/article/361751/

 哲学者の三木清は、1945年3月に検挙され、終戦から40日後に獄死した。疎開先で見つかった三木の未完の遺稿「親鸞」を復刻し、日本思想史家の子安が解説を付けた。三木の名著「人生論ノート」に連なる「死」と「伝統」についての思索がつづられている。

西日本新聞さん、ありがとうございました。

本書の序「遺稿「親鸞」から三木清を読む」(子安宣邦)より少しご紹介します。

末法をめぐる仏説的解説はすべて遺稿に譲って、ここでは人間における死を譬喩として末法をいう三木の説き方をめぐって見てみたい。
「現在の意識は現在が末法であるという意識である。死を現在に自覚し、いかにこれに処すべきかという自覚が人生の全体を自覚する可能性を与えるごとく、現在は末法であるという自覚が歴史の全体を自覚する可能性を与えるのである。」死は決して継続する生の中間点ではない。それは生の絶対的な終わりであり、終極点である。だが病気とは病みながらも生が継続される中間点を意味している。三木は末法を死の譬喩をもっていうのである。死を譬喩とする末法とは、したがって病める時代をいうのではない。絶対的な終わりの時代をいうのである。だから三木は、「末法思想は死の思想のごときものである。それは歴史に関する死の思想である」というのである。(本書、p17-p18)

本書は、全国の主要書店のほか、下記のオンライン書店でも購入できます。
https://honto.jp/netstore/pd-book_28698851.html
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784768479674

「希望」という言葉について

「希望」という言葉が世間を騒がせているようです。
三木清は『人生論ノート』に収められたエッセイ「希望について」で次のように指摘しています。

自分の希望はFという女と結婚することである。自分の希望はVという町に住むことである。自分の希望はPという地位を得ることである。等々。ひとはこのように語っている。しかし何故にそれが希望であるのか。それは欲望というものでないのか。目的というものでないのか。或いは期待というものでないのか。希望は欲望とも、目的とも、期待とも同じではないであろう。

新聞などを見るかぎり、いま「希望」という言葉に群がって騒いでいる人たちの本音は「自分の希望は国会議員という地位を得ることである」ということのようですが…、三木の言葉を繰り返しましょう。
「それは欲望というものでないのか。目的というものでないのか。或いは期待というものでないのか。希望は欲望とも、目的とも、期待とも同じではないであろう。」

西日本新聞で『希望について』紹介


ところで、三木清のエッセイ「希望について」を中心にした岸見一郎著『希望について――続・三木清「人生論ノート」を読む』が、2017/09/27付 西日本新聞夕刊で紹介されました。
https://www.nishinippon.co.jp/nlp/book_new/article/361751/

 1941年に刊行され、戦後も長く読み継がれてきた昭和のベストセラー、三木清の「人生論ノート」。危機の時代を生きた哲学者が、希望をキーワードに、懐疑、習慣、利己主義などについて考察した人生論は、現代を生きる私たちの励ましになる。

西日本新聞さん、ありがとうございました。

西日本新聞で『猫の怪』紹介

2017/08/17付 西日本新聞夕刊で紹介されました。
https://www.nishinippon.co.jp/nlp/book_new/article/351545/

 鍋島藩の化け猫騒動の原型を伝える「肥前佐賀二尾実記」と、飼い主を救う猫の話「三浦遊女薄雲が伝」の翻刻文と現代語訳を収録。この他、猫の奇談、猫にまつわる日本や韓国の民間伝承、芝居・映画も。かわいさと怖さが同居する猫の魅力に触れる。

西日本新聞さん、ありがとうございました。

「出版ニュース」で『希望について』紹介

出版ニュース」8月中旬号で、岸見一郎著『希望について――続・三木清『人生論ノート』を読む』が紹介されました。

記事では、本書から三木の言葉「人生は運命であるように、人生は希望である。運命的な存在である人間にとって生きていることは希望を持っていることである」を引いたうえで、次のように評してくださいました。

生誕120周年を迎えた哲学者・三木清が再び注目を集めている。本書は戦後長きにわたって読み継がれてきた『人生論ノート』を「希望」をキーワードに

して読み解く。懐疑、習慣、瞑想、感傷、噂、利己主義、健康、秩序、仮説、旅、偽善、娯楽といった各章のテーマを当時の時代背景とともに三木の思

考を辿ってゆく。危機と不安の時代にあって希望の意味を説く三木の思想的立脚点を分りやすく明快に。

出版ニュースさん、ありがとうございました。