白澤社ブログ

人文社会系の書籍を刊行する小さな出版社です。

名物うばが餅

百物語グルメの第二弾は「うばが餅」です。
『新選百物語』巻二の第二話「鼠にひとしき乳母が乳房」の冒頭で、江州草津滋賀県草津市)の名物として、うばが餅が紹介されています。
誰が言いだしたのか、この餅を食べると閻魔大王が生前の罪を一つ取り消してくれるということで、老若男女がもてはやしたとあります。
そんな有り難いものなら一度味わってみたいと思いましたが、残念ながら小社のある東京都では扱っているお店がありません。
そこで、製造元の、お菓子処うばがもちやさんから取り寄せました。
お菓子処うばがもちやさん のホームページ↓
http://www.ubagamochiya.jp/

注文方法も上記ホームページにあります。

届きました!うばがもち!

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てっぺんに白い飾りをつけたかわいらしいあんころ餅です。
こしあんのなめらかな舌触り、もちもちした小餅の食感を楽しむと、素朴ながら上品な甘みが口に広がりました。

うばが餅のご当地江州草津を舞台に、乳母を悩ます化物を、力持ちの大島官左衛門が退治する「鼠にひとしき乳母が乳房」は、『新選百物語―吉文字屋怪談本 翻刻・現代語訳』』(監修=篠原進/翻刻・注・現代語訳=岡島由佳)で読むことができます。

おいしい狸汁の作り方

寒い夜は鍋物があたたまりますね。そこで狸汁の作り方をご紹介します。
レシピは『新選百物語』巻一の第三話「くりかえす狸汁の食傷」の頭注に引かれている江戸時代の料理書『料理物語』(一六四三)の記述を参考にしました。
なお狸汁はもちろん狸(タヌキ)または貉(アナグマ)の肉を使った料理ですが、近所のスーパーで売っていないので豚肉とコンニャクで代用しました。
具だくさんの豚汁、あるいは味噌味で肉入りのけんちん汁のイメージです。

 

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【材料】(分量はすべて「適量」ということで)
・豚肉(今回はバラ肉を使いました)
・コンニャク(食べやすい大きさに切っておきます)
・ごま油
・生姜
・だし(かつおだし)
・酒
・大根(薄く切ります)
ごぼう(ささがき)
・味噌
・ニンニク
・塩

【作り方】
一、まず鉄鍋を用意します。ガスコンロを使う現代では土鍋でもよいのですが、江戸時代の気分ということで。今回はすき焼き用の鍋を使いました。
二、鉄鍋にごま油少々を温め、豚肉とコンニャクに生姜少々を加えて炒ってみました。これは狸肉の臭みを消すための作業なので、狸肉を使わない場合には必要ない段取りですが、これも江戸時代の気分を出すためひと手間かけます。
三、酒とかつお節の出し汁を鍋に入れてアルコールが飛んだら火を弱めます。
四、大根とごぼうを鍋に加えて煮込みます。
五、大根に火が通ったところで味噌を溶きいれ、ひと煮立ちさせたら火を止め、薬味にニンニクをすりおろして出来上がりです。味が薄かったら塩で調整します。

☆ワンポイント―具材には「大こん・ごばう其外色々」(『料理物語』)とありますから、お好みで豆腐や長ネギ、キノコを加えても美味しくできます(写真参照)。

【もっと簡単な作り方】
スーパーで売っているけんちん汁の具セットを鍋で煮て、しゃぶしゃぶ用豚肉を加え、白だしと味噌で味を調え、刻んだニンニク少々を浮かせば出来上がり。すぐ出来ます。

狸肉の代用として豚肉とコンニャクを用いた理由は、貉の肉は猪肉と味がよく似ているという言い伝えがあることと、お寺さんの精進料理としては狸肉の代わりにコンニャクを使うことになっているからです。
狸汁にしようと狸を追っかけまわした挙句、狸に三度も化かされてさんざんな目にあう「くりかえす狸汁の食傷」は、『新選百物語―吉文字屋怪談本 翻刻・現代語訳』(監修=篠原進/翻刻・注・現代語訳=岡島由佳)で読むことができます。

新選百物語 | 白澤社 (hakutakusha.co.jp)

冬に怪談?──『新選百物語』

新刊『新選百物語──吉文字屋怪談本 翻刻・現代語訳』(監修=篠原進/翻刻・注・現代語訳=岡島由佳)は今日発売されました。

冬に怪談?と驚かれますが、装幀をご覧ください。

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白地に青と赤、深緑の帯、この配色はクリスマスの贈り物にピッタリではありませんか!
冗談はともかくとして、冬場の怪談本が奇異に見えるのは、怪談は夏の物と思われているからでしょう。
それでは、怪談は夏のものと思われがちなのはなぜでしょうか?
〈江戸怪談を読む〉叢書の『皿屋敷』『猫の怪』でお世話になった民俗学者の飯倉義之さんが、國學院大学のサイトでその質問に答えています。
「なぜ日本では、夏に怪談話をするのですか?」
https://www.kokugakuin.ac.jp/article/11192
留学生さんからの質問のようです。
飯倉さんはこの質問に、「夏は死者の魂が帰ってくる季節だからです。」と回答していますが、その説明のなかで折口信夫『涼み芝居と怪談』を参照して「夏が怪談の季節になったのは、歌舞伎が夏に「涼み芝居」と称して、幽霊が出る恐ろしい演目--例えば「東海道四谷怪談」など--を上演したからだ」ことを指摘しています。
もちろん、飯倉さんも指摘するようにその背景にはお盆の習俗があったからですが、少なくとも都市部で怪談が夏のものになったことは、歌舞伎の影響だということは見過ごせません。
歌舞伎が盛んになったのは、江戸時代になってからです。
ということは、それ以前には、怪談は必ずしも夏のものとは限られていなかったのではないでしょうか。
それに、折口も挙げている『東海道四谷怪談』のラストシーンは冬、雪景色のなかです。
鶴屋南北の芝居の原型となった『四ツ谷雑談集』(小社刊『実録四谷怪談』)のラストシーンも雪の降り積もる冬でした。
岡本綺堂の短編「妖婆」も雪の降りしきる冬の夜の怪談です。
小社の新刊『新選百物語──吉文字屋怪談本 翻刻・現代語訳』は、早いところでは今日あたりから週明けにかけて、全国の主要書店で発売されます。
こたつみかんで、冬に怪談を読むのも案外おつなものです。

『新選百物語』刊行

このたび白澤社では、『新選百物語──吉文字屋怪談本 翻刻・現代語訳』を刊行いたしました。
来週12月14日頃から全国の主要書店で発売される予定です。 

新刊『新選百物語』概要

[書 名]新選百物語──吉文字屋怪談本 翻刻・現代語訳

[著者名]監修=篠原進/翻刻・注・現代語訳=岡島由佳/コラム=堤邦彦・近藤瑞木

[頁数・判型]四六判並製、208頁

[定 価]2000円+税
ISBN:9784768479742 C0093 \2000E 

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[内 容]

怪談文化の花盛りだった江戸時代、改題しただけのリメイク本もあいつぎ出版されるなか、上方の版元・吉文字屋による新作怪談本として好評を博したのが奇談、怨霊譚、哀話、妖怪退治などバラエティに富んだ『新選百物語』。
ラフカディオ・ハーンも参照したこの怪談本の本文を翻刻し、語注・現代語訳・解説を加え、初めて本格的に紹介。これまであまり知られていなかった怪談本がここに甦る。百物語は終わらない。
版元吉文字屋による広告文
「それ日月星辰風雨霜雪ハ怪の真なるもの也人常に心を以て怪まず人の怪とするも又造化の一変にして怪に似て怪にあらす聖人怪を語らざるの理こゝに於て明か也」

 

執筆者 

〈監修・序〉

篠原 進(しのはら すすむ)
青山学院大学名誉教授。専門は日本近世文学。編著書に『ことばの魔術師 西鶴』(共編、ひつじ書房)、「江戸のコラボレーション──八文字屋本の宝暦明和」(『国語と国文学』2003年5月)、「二つの笑い──『新可笑記』と寓言」(同2008年6月)。「「目さむる夏の青み哉」──団水2・最終講義」(『青山語文』48号、2018年3月)など。

翻刻・注・現代語訳〉

岡島由佳(おかじま ゆか)

青山学院大学大学院文学研究科日本文学・日本語専攻博士後期課程在籍。専門は日本近世文学。論文に「『新選百物語』小考」(『青山語文』第48号、2018年3月)など。

〈コラム〉

堤 邦彦(つつみ くにひこ)

京都精華大学教授。博士(文学)。専門は江戸怪談と近世説話研究。
著書に『江戸の怪異譚』(べりかん社)、『女人蛇体──偏愛の江戸怪談史』(角川叢書)、『江戸の高僧伝説』(三弥井書店)、『絵伝と縁起の近世僧坊文芸──聖なる俗伝』(森話社)など。

近藤瑞木(こんどう みずき)
首都大学東京人文科学研究科日本文化論分野准教授。専門は日本近世文学。
著書に『百鬼繚乱──江戸怪談・妖怪絵本集成』(国書刊行会)、『初期江戸読本怪談集』(共編、国書刊行会)、『幕末明治百物語』(共編、国書刊行会)など。

 

 目 次

新選百物語──吉文字屋怪談本 翻刻・現代語訳◎目次

〈序〉深い緑のラビリンス──「百物語」は終わらない(篠原 進)

新選百物語(翻刻・注・現代語訳 岡島由佳)

新選百物語巻一

○初段のしれぬ折傷の療治

三条通りふしぎの出会

○くりかえす狸汁の食傷

新選百物語巻二

○嫉妬にまさる梵字の功力

○鼠にひとしき乳母が乳房

新選百物語巻三

○立かへりしが因果の始

○女の念力夢中の高名

○紫雲たな引蜜夫の玉章

新選百物語巻四

鉄炮の響にまぬかる猟師が命

○我身をほろぼす剣術の師

○鶴の觜するどき託宣

新選百物語巻五

○思ひもよらぬ塵塚の義士

○井筒によりし三人兄弟

○鳬に驚く五人の悪者

○(国をへだてゝ二度の嫁入)(本文欠)


〔コラム〕幽霊の遺念(堤 邦彦)

〔コラム〕怪を語れば怪至る(近藤瑞木


あとがき(岡島由佳)

希望について―三木清『人生論ノート』より

昨夜放映されたNHKEテレ「100分de名著」の「三木清『人生論ノート』」の第4回のアンコール放送では、三木清『人生論ノート』より「死について」と「希望について」が取り上げられました。
NHK出版さんから出ている番組テキストでは、「死について」と「旅について」が取り上げられていたものですから、昨日の小社ブログでは「旅について」をご紹介してしまいましたが、ふだんテレビを見ないことから来る早とちりでした。お詫びして撤回いたします。
さて、「希望について」は、岸見一郎著『希望について―続・三木清『人生論ノート』を読む』に詳しく解説されています。
三木清『人生論ノート』を読む』(小社刊)の続編をつくる企画が持ち上がった時に、著者の岸見さんも小社の編集担当も、最初から、この「希望について」を中心に構成することを考えていました。
タイトルはもちろん、序論も「希望の人、三木清」としているのはそのためです。
そして、「序―希望の人、三木清」と、「希望について」を取り上げた最終章「12 人生は希望―「希望について」を読む」には、他の章にはないエピグラフがあります。
いずれも『人生論ノート』以外の三木の文章からの引用ですが、「希望」というテーマについての三木の考えをよく表していると思いますので、ここにご紹介します。
出典はいずれも『三木清全集』(岩波書店)からです(引用に当たり、旧仮名を現在の仮名遣いに改めています)。 

春はまだ遠い。けれども我々は希望を棄ててはならない。希望は徳である。希望を持つということの大きな徳であることが今日ほど忘れられている時代はないのである。
(全集第十六巻、一〇五頁。一九三六年三月三日掲載のコラム「詩の復活」より)

 

 

危機の正しい把握の中からこそ真の希望は生れてくる。真の希望というものは甘い見方から来る希望的観測の如きものではないのである。
(全集第十四巻、五六六頁。一九四一年十二月掲載「危機の把握」より)

 

「希望について」には、『人生論ノート』では独立した項目としてはとりあげられていない、愛についての考察も含まれています。
岸見一郎さんの解説は『希望について―続・三木清『人生論ノート』を読む』で読むことができます。
この機会にぜひ手にとってご覧いただければ幸いです。

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岸見一郎『希望について―続・三木清『人生論ノート』を読む』

今夜はNHKEテレ「100分de名著」の「三木清『人生論ノート』」の第4回のアンコール放送があります。
2018年11月26日(月)午後10:25~10:50/Eテレ
番組の案内はこちら↓
http://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/64_jinseiron/index.html
今夜の放送では、三木清『人生論ノート』より「死について」と「旅について」が取り上げられます。
「100分de名著」の「三木清『人生論ノート』」の回は今回で終わり(水曜日に再放送があります)が、番組で取り上げたテーマは三木清『人生論ノート』の約半分くらいです。
Eテレの番組で取り上げなかったテーマ、懐疑、習慣、瞑想と感傷、利己主義、健康、秩序、仮説、旅、偽善、娯楽、そして希望、については、同じ岸見一郎さんの『希望について―続・三木清『人生論ノート』を読む』に詳しく解説されています。
『希望について』の目次等については下記をご覧ください。↓
https://hakutakusha.hatenablog.com/entry/20170411/1491905968
今回の番組で取り上げる「旅について」については、昨年、このブログに「三木清『人生論ノート』の謎「旅について」」と題して『希望について』の編集過程でわかったこと(というか、わからないということがわかったこと)を書き留めましたのでご覧いただければ幸いです。↓
三木清『人生論ノート』の謎「旅について」
https://hakutakusha.hatenablog.com/entry/20170502/1493717615

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「孤独は山になく、街にある」三木清

昨夜はNHKEテレ「100分de名著」の「三木清『人生論ノート』」の第3回のアンコール放送がありました。
明日の朝と昼には再放送される予定です。
番組の案内はこちら↓
http://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/64_jinseiron/index.html
この第3回のテーマは「孤独」と「虚無」。
三木清の「孤独について」は、一時期、高校国語の教科書に掲載されていたこともあるので、ある世代にとっては懐かしいかもしれません。
昨日もご紹介しましたが、先週土曜日の朝日新聞朝刊(11/17付)の人気コラム「折々のことば」でとりあげられた「ひとは孤独を逃れるために独居しさえする」も、この「孤独について」からでした。
なかでも有名なのは、次の一節でしょう。 

孤独は山になく、街にある。一人の人間にあるのではなく、大勢の人間の「間」にあるのである。

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岸見一郎さんの『三木清『人生論ノート』を読む』(小社刊)では、この三木の言葉について時代背景や思想的文脈をふまえて詳しく解説しています。